若きジャンボは善戦マン〜対ジャイアント馬場 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」


コアラ不定期連載「若きジャンボは善戦マン」だね



まずはジャイアント馬場さんとの対戦。



ジャンボ鶴田の師匠であり、当時の全日本プロレスのエースが馬場さんです。


2人が初めてシングルで対戦したのは1975年末の「オープン選手権」の公式戦でした。





1975年12月15日に対戦。




この試合、自分は見た記憶があります。


コアラえいたろうが初めてプロレスを見たのは全日本プロレスなんだよね



この時、ジャンボはデビューして2年で、まだまだ若いって感じでした。



試合開始、まもなくして…







ドロップキック


コアラ馬場さん、もろに顔面にくらってるね



打点の高いドロップキックでしたが、馬場さんはケロリと起き上がっていました。



馬場さんは終始、余裕がありましたね。





ジャンボはドロップキックやサイドスープレックスで反撃しました。





しかし、余裕のある馬場さんはネックブリーカードロップから河津落としを決め、フォール勝ち!





馬場さんの圧勝でしたね。




コアラジャンボは疲れたって感じだね



幼い自分は、この試合でジャンボを応援していましたが、馬場さんがアッサリと勝った感じを受けましたね。




翌1976年のチャンピオンカーニバルの公式戦では、ジャンボは前回よりは善戦しましたが、






馬場さんの高いバックドロップで負けました。



初めて馬場さんと引き分けたのは1977年のチャンピオンカーニバル公式戦。


しかし、優勝決定戦で馬場さんのランニングネックブリーカーで負けています。



コアラ馬場さんはブッチャーに勝ってジャンボと対戦…1日2試合したんだよね




この後、馬場さんとのシングルは全て時間切れ引き分け。



最後のシングル対戦は1982年でした。



ジャンボがインターヘビー級のチャンピオン、さらには三冠チャンピオンになってからはシングルの対戦自体ありませんでした。



この時期に対戦すれば…どうなったんだろ?




ジャンボはついに馬場さんに勝つことは出来ませんでしたね。




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