馬場さんのタッグパートナー ラッシャー木村 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

ジャイアント馬場さんのタッグパートナー、今回は、




ラッシャー木村


コアラ馬場さんの生涯最後の試合でも6人タッグを組んでいたね




1984年の全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦で馬場さんのタッグパートナーは、





ミステリアスパートナーとされていて開幕戦まで誰だかわかりませんでした。


そして開幕戦で、





ミステリアスパートナーがラッシャー木村と発表されたのです。



コアラこの時、ミステリアスパートナーは様々なレスラーの名前が上がっていたけど木村さんとはビックリだったね



ところが馬場、木村組はシリーズ途中で仲間割れを起こしてしまいます。


その時の記事は以前アップしました。こちら⬇️

ラッシャーに何が起こったか



木村は元国際プロレスのレスラーらと国際血盟軍を結成します。




しかし、馬場さんと長年戦い、1988年8月29日の日本武道館でのシングル対決で負けた木村は、




マイクを握り、馬場さんに「アニキと呼ばせてくれ」と宣言。さらに後日の後楽園ホール大会でタッグ結成を熱望。


コアラこの頃からマイクパフォーマンスが始まったんだね


そして、



馬場、木村組が再び始動したのです。




その後の世界最強タッグ決定リーグ戦にも、




義兄弟コンビのネーミングで出場しました。



世界最強タッグ決定リーグ戦の出場は1989年が最後でしたが、全日本プロレスの前座で百田光雄などを含めたファミリー軍団として会場を沸かせました。




馬場さんが怪我をし、その後の復帰戦でも木村がパートナーでした。



コアラ馬場さんも木村さんのマイクに笑うようになったね




木村としては馬場さんは最高のタッグパートナー。

馬場さんとしても生涯プロレスラーでいるためのタッグパートナーが木村だったと思います。





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