1969年の国際プロレスは1月1日から新たなシリーズ、ビッグウインターシリーズで始まった。
日本語で言うと大きな冬物語かな
パンフレットの表紙は豊登ですが、前年にIWA世界ヘビー級王者になったビルロビンソンが日本側につき、エースとなりました。
IWA世界ヘビー級の初代王者になったんだよね
外人レスラーとして日本の団体のエースとなったのはロビンソンが初めてでしょう。
ロビンソンは前年のワールドチャンピオンシリーズより残留しており、団体のエースだけではなく、国際プロレスの若手のトレーナーも兼任し、当時若手だった寺西勇、マイティ井上、後に入団してくるアニマル浜口などを指導したのです。
ロビンソンだけに甘えることなく、日本人レスラーの売り出しに力を入れています。
海外遠征中の小林省三と日本プロレス、東京プロレスと流れてきた木村政雄の2人にファンにリングネームを公募しました。
国際プロレス中継の『TWWAプロレス中継』で公募したのかな
小林はストロング小林。
木村はラッシャー木村。
木村はこのシリーズの途中からロングタイツに変わりました。それまでは上⬆️のような通常のパンツでした。
ラッシャーさん、若い!
このシリーズで木村はグレート草津とのタッグでアンドレボレー、ロベルトガステルからヨーロッパタッグ王座を奪取したのです。
この王座…元々あった王座だったのか、本当にあったのか不明なんですね。
つまり草津や木村を売り出すために作ったものではないか?…と思います。
この頃、国際プロレスはタイトルが乱立してるね
ロビンソンはこのシリーズ中にIWA世界ヘビー級王座を草津とチーフホワイトウルフとタイトル戦を行い防衛しています。
チーフホワイトウルフはシークアドナンアルケイシーの名でも活躍しているね
ロビンソンは5月まで残留し国際プロレスに貢献したのです。
その間にようやくエース候補が海外で躍進したのです。
つづく
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