猛将親父 〜第114話 秀吉、播磨侵攻〜 | 歴史を感じよう

歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️

目次




天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。


天正5年(1577年)10月10日、大和国の信貴山城(しぎさんじょう)は炎上した。

城主、松永久秀(まつながひさひで)は自害…



コアラ松永久秀さんは信長さんに謀反を起こして信貴山城に籠っていたんだよね



この信貴山城の戦い山中鹿介(やまなかしかのすけ)は2番乗りの功績を上げ、久秀の有力家臣を討ち取っていた。




戦後、鹿介は織田信長(おだのぶなが)に呼ばれた。


信長「鹿介、此度の戦、そなたの働き、目覚ましいもの有りだった。」


鹿介「お言葉嬉しく思います。」


信長「そなたの望みは尼子(あまこ)氏再興だったな。」


鹿介「はい、我が生涯、尼子再興にかけております。」


信長「これから中国攻めを猿(羽柴秀吉[はしばひでよし]のこと)を大将に行う。その配下に加われ。」


鹿介「毛利(もうり)を攻め…かしこまりました。」


信長「そなたの力で毛利から出雲を取り戻すのだ。」






織田方の羽柴秀吉は播磨国平定のため、姫路城(ひめじじょう)に入っていた。


現在の姫路城


姫路城は小寺氏(こでらし)の家老、黒田官兵衛(くろだかんべい)が治めていた。


黒田官兵衛


コアラ本名は黒田孝高(くろだよしたか)さんなんだけど、ここでは官兵衛の名で通すね



小寺氏は毛利に通じ、既に没落しており、官兵衛は秀吉に仕えていた。



秀吉は姫路城を本拠として播磨、但馬を転戦し国人衆を調略、降伏させ人質を取り、1か月余で西播磨全域を支配下に収めた。



ところが西播磨で備前、美作との国境にある上月城(こうづきじょう)の赤松政範(あかまつまさのり)は秀吉になびかず、毛利方の宇喜多直家(うきたなおいえ)と連携し抵抗していた。


宇喜多直家


秀吉は上月城攻めを開始した。秀吉軍は15,000の兵で城を包囲。かたや上月城の赤松軍は7,000、さらに赤松の援軍の宇喜多軍は3,000であった。




一連の織田軍の侵攻を聞いた元春は家臣団に、


元春「全面的に織田との戦が始まった。毛利の命運をかけた戦だ。皆、我が領地を守るぞ!!」



しかし、元春は秀吉の上月城攻めを顛末を聞いて怒りを覚えたのだ…





つづく…




コアラ最後までご覧になって頂き誠にありがとうございます😊宜しければ下⬇️のコアラのバナー(にほんブログ村にエントリーしています)をクリックお願いします🤲

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村