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これより少し前に隆景は宇喜多直家(うきたなおいえ)と共に備中兵乱と呼ばれる備中の三村元親(みむらもとちか)との戦いに勝利していた。
備中松山城
備中松山城は三村氏の居城だったけど陥落したんだよ
元春は隆景に、
「義を通さぬ毛利の将来は暗い」
と言い切った。
元春自身は宇喜多直家を信じておらず、直家と結んだことは忠孝を働いていた三村を蔑ろにするもので義から外れる行為と嘆いていたのだ。
因幡に来た元春と隆景の軍勢は約47,000の大軍であったが、2人の関係はギクシャクしていた。
毛利軍は尼子再興軍の諸城を次々と落とし、天正3年(1575年)8月には山中鹿介(やまなかしかのすけ)の籠る若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)を攻めた。
若桜鬼ヶ城跡
尼子再興軍は奮戦し、毛利軍の攻撃を防ぎ撃退した。
撃退された毛利では隆景が元春の陣を訪れていた。
隆景「兄上、さほど兵数ではない尼子に手こずるとは兄上らしくもない。いかがされた?」
元春「窮鼠猫を噛む…追い詰められた尼子再興軍は必死なのだ。甘く見てはいかん。」
隆景「…兄上は備中のことをまだお怒りか?」
元春「隆景、終わったことはもうよい。それより三村は織田信長(おだのぶなが)と通じていた。尼子再興軍も同じだ。」
隆景「はい…」
元春「我らはいつしか天下に向かっているのではないか?」
隆景「いや…我らの領土を脅かすものを跳ね除けるだけです。」
元春「それが天下に向かっておる。望まぬとも、そうなっておるのだ。」
隆景「我らは天下は決して望まぬ。決して…」
ギクシャクした毛利軍は若桜鬼ヶ城のみの尼子再興軍に対し多数の付け城を築いて因幡から撤退していった。
尼子再興軍は反毛利の三村氏の滅亡、浦上宗景(うらがみむねかげ)の追放等々で孤立した。
ついには因幡から尼子再興軍は撤退していったのだ。
山中鹿介は、
鹿介「元春らはなぜ因幡から撤退したのだ。このままでは終わらぬぞ。」
鹿介や尼子勝久(あまこかつひさ)は京へ向かっていった。
元春ら毛利主力が因幡から撤退したのは因幡の尼子再興軍より重大なことが山陽方面で起きたのだ。
「瀬戸の海は気持ちいいの。」
将軍足利義昭(あしかがよしあき)が備後国の鞆にやって来たのだ…
つづく…
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