チャレンジ国際プロレスを語る〜流れを変えた欧州招聘 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

外人レスラーのアメリカでの招聘ルートを失った国際プロレスを助けたのはレスリング界の父と言われた八田一朗であった。




コアラ八田さんってアマレスの選手でもあったんだよね



アマチュアレスリング(以下アマレス)の発展に尽力し1964年の東京オリンピックでは監督として日本チームを率いて金メダル5個も獲得したのだ。




国際プロレスのサンダー杉山は八田の勧めでプロレス界に入り、後にジャンボ鶴田も同じく八田の勧めでプロレス界に入っている。




コアラプロレス界にも影響力のある人物だったんだね




八田は英国のジョイントプロモーションズとコネクションを持っており、吉原功さんにヨーロッパのレスラーを紹介し、これで新たにヨーロッパの外人招聘ルートを開拓したのだ。


このことが国際プロレスいや日本プロレス界…全プロレス界の流れを変えたと言っても過言ありません。


コアラ後に来たのが大巨…今は内緒にしよ



国際プロレスはトニーチャールズ、リーシャロン、ジョーキーガン、ジョンフォーリーを呼び、日欧決戦シリーズを全9戦で開幕した。




トニーチャールズ



ちなみにトニーチャールズは英国西部ヘビー級王者と紹介されている。



この「日欧決戦シリーズ」は前シリーズから開幕まで期間が短く、宣伝が行われず苦戦したようです。




取り急ぎ感の強いシリーズであったが、次期シリーズからの目処も立ったと思います。



次期シリーズは日欧チャンピオン決戦シリーズで1968年4月3日開幕。





このシリーズではヨーロッパのチャンピオンが初来日しました。



それがビルロビンソンだったのです。






つづく




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