チャレンジ国際プロレスを語る〜ヒロマツダ凱旋帰国 | 歴史を感じよう

歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

国際プロレスを設立したのは吉原功

さん。


吉原さんは日本プロレスでは元はレスラーであり、日本ライトヘビー級チャンピオンにもなりました。


※画像はお借りしました


コアラ右上に力道山がいるね


前列の左から3番目が若き日の吉原さん。


吉原さんはレスラーを引退した後、日本プロレスのフロントに転じて営業部長になりました。


吉原さんは力道山亡き後、日本プロレスの経営を巡り、遠藤幸吉と対立していたのです。



コアラ左端が遠藤幸吉だね



力道山亡き後、日本プロレスは豊登をエース兼社長とし、芳の里、吉村道明、そして遠藤幸吉の4人が経営の中心でした。



1965年12月、1人のレスラーが凱旋帰国した。


それはヒロマツダ




ヒロマツダは元は日本プロレスのレスラーであったが1960年に退団していた。


力道山が相撲部屋の習慣から持ち込んだ上下関係などの不規律や精神論に反発したためと言われている。


コアラ怪我は気合いで治るとかの精神論だね



退団後、日本を離れ、ペルーを経てアメリカに渡り、カールゴッチの指導を受け、技巧派のベビーフェイスとして売り出され、NWA世界ヘビー級チャンピオンルーテーズに挑戦しています。


ルーテーズ


さらに1964年にはダニーホッジを破りNWA世界ジュニアヘビー級チャンピオンになったのです。


ダニーホッジ





力道山が生前時はヒロマツダの活躍はあまり日本で報じられませんでしたが、力道山亡き後は大きく報じられました。


コアラ力道山がマスコミにヒロマツダさんのことを規制していたんだね



そんなマツダが羽田空港に到着し、ファンは大歓迎。日本プロレスから迎えに来たのは、社長の豊登と吉原さんだったのです…





つづく




にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村
コアラ宜しければバナー⬆️をクリックしてね