1973年2月にアントニオ猪木さんと坂口征二が発表した日本プロレスと新日本プロレスの合併案を発表から1週間後に大反対した者がいました。
え〜、両団体にとって、いいことばかりなのに反対するってなんで〜?
反対したのは大木金太郎。
2月16日に後楽園ホールで記者会見を開き、
「詳しい話を聞いて驚いた。坂口が離脱して猪木と組むのは自由だが、力道山先生の築き上げた日本プロレスを守るのが筋だ。」
大木としては馬場さん、猪木さんが日本プロレスを離脱し、ようやくエースとなれたものを新日本プロレスと合併すると猪木さんがエースとなり、坂口の次に追いやられることを危惧したのかもしれません。
エースなら、団体を潰さないことを最優先に考えなきゃいけないのに…
大木が反対したことにより、選手会や社長の芳ノ里まで反対に回ってしまいました。
坂口は選手会会議で「合併はNET(現在のテレビ朝日)の意向」と説得しましたが、大木らは考えを変えることはありませんでした。
坂口に賛成したのは小沢正志(後のキラーカーン)、木村聖裔(後の木村健吾)、大城勉で、他の選手は反対。
反対したグレート小鹿、ミツヒライらは猪木さんを日本プロレス追放した時の急先鋒だったので、今さら猪木さんと一緒になっても後ろめたさがあった…のかも…
結果、合併案は流れ、坂口と坂口派の3選手とレフェリーの田中米太郎は日本プロレスを離脱し新日本プロレスに合流することになったのです。
これを受けてNETは日本プロレスの放映打ち切りし、猪木、坂口の新日本プロレスに切り替えることを日本プロレスに通達しました。
この時期、日本プロレスは観客数が激減しており、NETからの放映料でかろうじて持っていたのに、放映料が無くなると…
大木は「力道山先生伝統の日本プロレスをNETが見捨てるはずはない」と的外れな発言をしています。
坂口は日本プロレスとの契約が3月8日の試合まで残っており、このシリーズは出場しました。
坂口は大木とのインタータッグはジョニーバレンタインとキラーカールクラップに取られてしまいます。
このシリーズで日本プロレスの名参謀、吉村道明が引退しました。
つづく
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