日本プロレス崩壊を語る〜インター王座返上 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1972年7月29日に日本プロレスからの離脱を宣言したジャイアント馬場さん。




日本プロレス側は、馬場さんを引き留めるべく動きました。



コアラ馬場さんには日本テレビがバックアップしてるんだよね




日本プロレスはNET(後のテレビ朝日)から馬場さん離脱からの損害賠償を求められていました。



日本プロレス社長の芳の里は「NETから訴えられたから、それは馬場が原因。馬場を契約違反、裏で糸を引く日本テレビを営業妨害で訴える」と怒りをあらわにしました。




しかし、日本プロレスと所属選手には法的に拘束する契約書が存在しなかった。


日本プロレスは力道山が持ち込んだ相撲社会の悪き習慣が残っており、相撲出身の芳の里もそれを引き継いでおり、どんぶり勘定であった。



コアラちなみに所属選手との契約書を作成したのは国際プロレスなんだ。


一番左が国際プロレスの吉原社長



つまり、契約書がないのに日本プロレスは馬場さんを訴えることなどできたのだろうか?



馬場さんは日本プロレスからの求めを一切拒否しました。




馬場さんはアメリカに渡り、フリッツファンエリック、ブルーノサンマルチノ、ドリーファンクシニアといった有力者に新団体設立の報告と協力を求めたのだ。


ドリーファンクシニア(右)とドリーファンクジュニア(真ん中)、テリーファンク(左)



ドリーファンクシニアは馬場さんがNWAに加盟するのに尽力し、それを馬場さんはずっと恩に感じていました。



馬場さんがアメリカの有力者から協力が得られたのは、馬場さんのアメリカでの知名度と信用があったからですね。




コアラ馬場さんはかつてアメリカ武者修行に行って、各プロモーターやレスラーから信用を得たんだね




馬場さんの決意が固いと見た日本プロレス側は馬場さんが保持するインターナショナルヘビー級王座大木金太郎が挑戦するカードを発表したのです。


芳の里は「馬場の辞表を受理してないから日本プロレスの選手」という理屈で大木に挑戦させようとしたのです。




これをアメリカで聞いた馬場さんは帰国後、インターヘビー級王座とインタータッグ王座(パートナーは坂口征二)を返上しました。



日本プロレスは大木が馬場さんと戦ったらセメントを仕掛けて馬場さんを潰して商品価値を下げようと目論んだようですが、馬場さんは無益な争いを避けました。



コアラなんか…日本プロレスのやり方は猪木さんの追放の時といい、今回も汚いなぁ






日本プロレスから若手の轡田友継(サムソンクツワダ)と佐藤昭夫が退団、馬場さんと行動を共にしました。


さらにレフェリーのジョー樋口も退団し馬場さんの元に行きました。





コアラ馬場さんは着々と新団体設立の準備をしてるね





日本プロレスは大木を馬場さんに挑戦させる予定であった田園コロシアムと大阪の大会で坂口征二とザ・シークUN選手権2連戦を行いました。



坂口征二が日本プロレスのエースとなりましたね。




馬場さんは9月9日、記者会見をし、新たな団体名を発表しました。



その名は、


全日本プロレス



つづく






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