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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天文24年(1555年)正月、元春は毛利軍が本陣を置く桜尾城(さくらおじょう)にいた。
桜尾城は海を渡った厳島に近いね
元春の元にある報せが家臣の福原元正(ふくはらもとまさ)から入った。
元春「尼子(あまこ)が内部争いをしていると⁉︎」
元正「はい、当主の晴久(はるひさ)と尼子新宮党(しんぐうとう)の国久(くにひさ)が関係が悪化しており、晴久が新宮党を粛正したと忍びより報せが入りました。」
国久さんは晴久さんの叔父さんにあたるんだよ
元春「尼子家中の引き締めか…」
元正「実は変な噂があります。尼子の月山富田城(がっさんとだじょう)の前で殺されたものが元就(もとなり)様が国久に宛てた書状を持っていたと…。」
元春「父上の書状⁈ なぜに父上が国久に書状など出すのだ?」
元正「これは元就様の謀(はかりごと)かと…殺されたものは毛利家中での罪人だったのです。そのものに元就様から国久宛ての書状を持たせ、出雲へ送った…そして晴久にその書状が渡るように月山富田城に行かせた…書状を見た晴久は以前より関係が悪い国久をさらに信じなくなる…」
元春「うむ〜…これで尼子は家中を静めるのが先決し、我が毛利は後方の尼子の心配がなくなるということだ。」
尼子が動けなくなったのは、元就さんの謀って説があるんだよね
3月になり、陶晴賢(すえはるかた)の家臣、江良房栄(えらふさひで)が140艘の水軍で厳島を攻めた。
厳島にいた毛利別軍はなんとか追い返した。
対岸の桜尾城にいた元春や元就、隆元(たかもと)は安堵した。
元就「房栄か…我が毛利の陣営に欲しいの。」
元春「房栄は晴賢の右腕と呼ばれるもの、簡単には晴賢を裏切ることはないと思います。」
元就「残念じゃの……」
この時、元就はわずかに含笑いをしたのを元春は見逃しませんでした。
元就「ところで…厳島の宮尾城(みやおじょう)を築城したのは失敗かの…」
隆元「失敗?それはどうゆうことですか?」
元就「あの城を陶に本気で攻められれば、ひとたまりもあるまい。これでは瀬戸内海の拠点、厳島を陶に取られてしまう。」
元春「父上、なんと弱気な…ならば兵を送っておきましょう。」
この場にいた1人が桜尾城から離れて周防に走った。
数日後…
「ぐわっ!!」
厳島攻めから周防の岩国に帰っていた江良房栄が陶配下の弘中隆包(ひろなかたかかね)に暗殺されたのだ。
隆包は晴賢にこれを報告した。
隆包「ご命令どおり房栄を始末してきました。」
晴賢「…房栄め、裏では毛利と繋がっていようとは。元就に内応し領地加増の約束までして裏切っておった…信じていたものを…」
隆包はこれは元就の謀と疑っていた。それを晴賢に進言したが、晴賢は房栄を始末できなければ隆包を斬ると言ってきたのだ。
実は隆包の考えは当たっていたのだ。全ては元就の謀であった。
晴賢「隆包、先ほど毛利の陣営に送っていた忍びから報せが入った。元就は宮尾城の守りができぬと弱気だ。ここは一気に兵を厳島に進め、毛利から取り返す!」
隆包「それは…もしかして元就の謀では?」
晴賢「なぜだ?厳島を取られることが謀か?」
隆包「狭い厳島に行くより、元就の居城、吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に兵を進めるほうがよいかと。」
晴賢「厳島は海の重要な拠点、これを失うわけにはいかぬ!まずは厳島だ!」
隆包はもう何も言えなかった。
元春は忍びの世鬼政時(せきまさとき)から聞いた。
元春「政時、毛利の陣に晴賢の忍びが入っていよう?」
政時「……さすが元春様。」
元春「そうでなければ父上が宮尾城が失敗だとか厳島を守れぬとか弱気は吐かぬ。あの場に忍びがいて、わざとそれを聞かすために言った謀であろう。」
政時「元就様の謀は的確です。尼子新宮党も江良も謀に落ちました。」
元春「わしには出来ぬことだ。まだ謀はあるのか?」
政時「敵を騙すには、まず味方から…謀は元就様のみ知っておりまする。」
元就の謀はもうひとつ動き始めていた…
つづく…
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