猪木さんの代わりは坂口征二で充分と被害はわずかと高を括っていた。
坂口はジャケット馬場さんとのタッグでインタータッグ、猪木さんが返上したUN王座をキングクローから奪取した。
順調と思われた日本プロレスに注文をつけたのが、NET(現在のテレビ朝日)である。
NETは猪木さんを番組のエースとして日本プロレスを放映していたが、猪木さんの追放でエースを失っていたのだ。
NETは坂口や大木金太郎では視聴率が取れない。そこで馬場さんを登場させる要求を日本プロレスにしてきたのだ。
NETが日本プロレスの放送する時に日本テレビからは、
馬場さんは放送しない
坂口征二は放送しない
ワールドリーグ戦は放送しない
と条件があったのだ。
しかし、1972年の時点で坂口及びワールドリーグ戦の放送はNETでもできるようになっていた。
NETは馬場さんの登場がなければ1972年3月いっぱいで放送を打ち切ると警告したのだ。
これを聞いた日本テレビは馬場さんのNET登場させれば日本プロレスの放送を打ち切ると警告した。
これに対し、日本プロレスは「日本テレビの放送の視聴率は高いから、馬場をNETに登場させても打ち切ることはないだろう」と簡単に考えていたのだ。
日本プロレスの役員会で馬場さんは自身のNET登場は反対したが、結果は馬場さんのNET登場は可決されてしまう。
そして、1972年4月3日の新潟大会の馬場、坂口vsマードック、ブルータスの試合がNETのワールドプロレスリングで放送されたのだ。
これで日本テレビは大激怒、日本プロレスを契約違反で告訴するが双方の話し合いで解決するようにという裁決が下された。
日本テレビは放送の打ち切りを決定。ワールドリーグ戦の決勝戦を持って打ち切ったのだ。
日本テレビは、打ち切った後、つなぎ番組として『日本プロレス選手権特集』を放送した後、新番組として、
しかし、日本テレビはプロレス放送を諦めたわけではなかった。
日本テレビの狙いは馬場さんであった…。
つづく
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