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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
元春は家族、家臣を連れ、吉川家の居城・小倉山城(おぐらやまじょう)に入城した。
小倉山城は南北朝時代末期に吉川家8代当主・吉川経見(きっかわつねみ)が築いた城である。
元春さんのお母さん、美し(よし)さんも小倉山城で生まれ育ったんだよ
元春に同行した家臣の筆頭は元春の幼少期から仕える福原元正(ふくはらもとまさ)である。
元春は小倉山城の本丸から妻の優(ゆう)や元正と一緒に周囲を見ていた。
優「夕陽が綺麗ですね。」
元春「うむ。鶴寿丸(つるじゅまる)、ここが我らの領地ぞ。」
鶴寿丸は1548年に生まれた元春と優の男子である。
この鶴寿丸が後の元長(もとなが)…我が兄なのだ。
鶴寿丸は遊びたくてしょうがないようで、
優「鶴寿丸、母とあちらで遊びましょう。」
元春「おぉ、母と遊んでこい。」
鶴寿丸と優は庭に出ていった。
元正「殿、何かお考えですか?」
元春「…元正、するどいな。」
元正「殿とのお付き合いは御台様(優のこと)より長いゆえ…」
元春「城の場所はここでよいのか…を考えていた。我らは尼子(あまこ)に近い地にあるのだ。」
元正「確かに尼子が攻めてきたら守る役目が吉川家です。」
元春「元正、わしは近々、大きな戦が起きるのではないかと思っているのだ。」
元正「大きな戦?なぜそう思っているのですか?」
元春「1年前に山口の大内(おおうち)に行った時のことだ…。」
話は遡る。
1549年2月、元春は父、毛利元就(もうりもとなり)と弟の小早川隆景(こばやかわたかかげ)と山口に下向した。
元就らは大内氏館で大内義隆(おおうちよしたか)に挨拶をした。
元就「此度は我が息子までお呼び頂き誠にありがとうございます。」
義隆「よく来た。」
義隆の傍にいたのは相良武任(さがらたけとう)であった。
相良武任さんは義隆さんの右筆、奉行人として仕えているんだよ。いわゆる文治派だね
義隆に仕える重臣、陶隆房(すえたかふさ)の姿はそこにはなかった…
つづく…
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