今まで語ってきたのは日本プロレス崩壊までの序曲でした。
ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの派閥、日本プロレスのテレビ放送2局…
これだけで崩壊はしないよね
猪木さんの馬場さんへの挑戦も日本プロレスを盛り上げる1つでした。
日本プロレスはテレビ放送が日本テレビとNET(現、テレビ朝日)の2局がつき、放送料が入っていたのです。
日本テレビの中継で三菱の掃除機、風神がリングを掃除してたね
馬場さん、猪木さんに加え、坂口征二も入団した日本プロレスは大人気、まさに黄金期でした。
当時、馬場さん猪木さんの封筒に入った給料が縦に立つと言われるほどでした。
しかし、日本プロレスの一部の幹部の方が現役レスラーより多く、さらには会社の金を私用で使ったりと浪費が酷かったと言われていたのです。
その幹部は、
右側から2番目の既に追放された豊登(とよのぼり)を除く、3人…左から遠藤幸吉、吉村道明、社長である芳の里。
そしてレフェリーの九州山。
これらを後にダラ幹と呼ばれてます。
ダラ幹、ダラダラする幹部の略だね
銀座に行き、一晩で300万も使うと言う話もあるようです。
ダラ幹の浪費だけでなく、黒い方にもお金が流れていた?とも…
これに危機感を感じていたのは現役のレスラーでした。
猪木さんの回想によると、1971年11月、上田馬之助が後楽園ホールの控室で、「幹部の浪費が続けば、日本プロレスの未来はない。馬場さんと猪木さんで腐り切った日本プロレスを選手のための会社に改革してください。」と懇願してきたのです。
その猪木さんは馬場さんにこれを相談、慎重な馬場さんは「選手のための会社に」の改革案に賛成したのです。
改革案のプランはダラ幹の退陣(但し、選手の乗っ取りは社会的に悪印象なので、しばらくは芳の里は社長のまま)、改革決行は12月13日でした。
![コアラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/163.png)
ここで猪木さんは参謀としてプロモーターで経理士である木村氏と言う人物を入れ、単独で改革計画を練り上げていったのです。
これが馬場さんに不信感を抱かせることになるのです…
つづく…
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