1971年5月の日本プロレスの第13回ワールドリーグ戦は、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの間が確実に割れてきた大会でした。
猪木さんはUNヘビー級チャンピオンになって乗っていたね
このワールドリーグ戦は、日本人vs外人の対戦で得点を争い、日本人のトップと外人のトップが決勝で優勝を決める形式でした。
当時は前座以外は日本人vs外人の対戦で日本人同士の対戦はありませんでした。
第11回も馬場さん、猪木さんが日本人グループの同点でトップでしたが、第13回も同様の結果になりました。
外人グループのトップはザ・デストロイヤー とアブドーラ・ザ・ブッチャーが同点でした。
優勝は4人で争うのですが、ここでも日本人vs外人の図式で争われることになります。
クジの結果、
第1試合
猪木vsデストロイヤー
第2試合
馬場vsブッチャー
うむ〜
かつて、このブログで猪木vsデストロイヤー のことを記事に書きましたね⬇️
日本プロレスの一部が馬場さんに優勝をさせるため、シュートに強いデストロイヤー を猪木さんに当てた…という話がありますが…実際はどうなんでしょう?
猪木さんは馬場さんと戦うためには自らがデストロイヤー に勝ち、馬場さんがブッチャーに勝つ…その可能性しかなかったのです。
結果、猪木vsデストロイヤー は両者リングアウトの引き分け。
この時点では馬場vsブッチャーが同じく引き分けにならなきゃ馬場vs猪木の実現はないよの
ところが、馬場vsブッチャーが行われている最中、猪木さんが馬場さんへの挑戦を表明したのです。
「ワールドリーグ戦で優勝できなかった腹いせでこんなこと言っているんじゃない、デストロイヤー戦では力及ばず引き分けとなってしまった。こうなったら馬場さんに優勝してもらいたい。でも、それとこれから言うことは別なんです。オレは馬場さんの保持するインターナショナルヘビー級王座に挑戦したい。これは公式声明です。明日、コミッショナーに挑戦願いを出します。」
まだ猪木さんも優勝の可能性残ってるのに…この発言
これに周囲は驚きました。
馬場vsブッチャーは、馬場さんがブッチャーに勝ち、優勝を決めたのです。
控室で馬場さんは猪木さんの挑戦発言を聞いたのでしょう。
猪木さんが馬場さんの優勝を祝うための握手…だと思いますが、馬場さんは複雑な表情してますね。
馬場さんは筋を通さないやり方は嫌いだから、内心ムカついてたのかなぁ
この挑戦、結果的には実現しませんでした。日本プロレスコミッショナーは時期尚早とはねのけたのです。
このワールドリーグ戦の決勝で馬場さんと猪木さんの間に亀裂が見えてきたのは確かですね。
日本プロレスは両者を戦わすのはギリギリまで持って行きたかったのでしょう。それは日本テレビとNET(現、テレビ朝日)の2局で中継放送をして、放送料が入っていたことに関係していたと思います。
そうかぁ、馬場さんは日本テレビ、猪木さんはNET。どちらのエースも負けにはしたくなかったんだね。
放送料がたくさん入り、日本プロレスはかなり儲かっていたのでしょう。
そのお金が…崩壊に繋がっていきます。
つづく…
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