1966年10月12日の旗揚げ戦は上々だった東京プロレス。
猪木さんがジョニーバレンタインに勝ったんだよね
旗揚げの時、アントニオ猪木は日本プロレス・ジャイアント馬場への挑戦状を送っていたのです。
日本プロレスは当然のように、これを無視しました。
馬場さんはコミッショナーに認可された団体なら受けて立つと答えたようです。
猪木さんが馬場さんへの挑戦を表に出したのは、この時が初めて?ではないかなぁ…
しかし、東京プロレスは営業面が弱く、日本プロレスの妨害もあり、旗揚げシリーズを全34戦予定していましたが、結果20戦しかできませんでした。
さらに20戦の売り上げを豊登が私的に流用しギャンブルに注ぎ込んだのです。
豊登、あり得ねー
さらに悪いことは続くもので…11月26日板橋区都電駅前大会で開始予定時間を1時間も過ぎても開始されず、挙げ句の果てに中止となり、寒空の中で待たされた観客が激怒、暴動を起こしリングを破壊し放火まで行い、警察官が多数出動する事態になったのです。
これが「板橋事件」。
なぜ中止となったのか?様々な説があるのですが、全ての説は金絡みでした。
猪木さんらがプロモーターから約束していたお金を支払ってもらえなかったから引き揚げたって説や外人レスラーが支払いの悪い東京プロレスに対してボイコットした説…だね。
社会的信用を失墜した東京プロレスと猪木さん…
12月のシリーズも観客動員数は散々たる結果で12月19日の東京体育館大会が結果的に東京プロレスとしての最後の興行になりました。
猪木さんは後にWWWF(現在のWWE)のチャンピオンになったスタンスタージャックに勝ったんだよね
シリーズ終了後、猪木さんは公金横領、ギャンブルへの流用をやめない豊登と手を切り、新たな東京プロレスを設立しました。
年が明け1967年、猪木さんらの東京プロレスは新団体国際プロレスとの合同興行を行いました。
国際プロレスはこれが旗揚げシリーズだったね
このシリーズ中、猪木さんは豊登を「業務上背任横領容疑」で告訴、豊登も猪木さんを「背任容疑」で逆告訴…東京プロレスは泥仕合の様相になりました。
さらに猪木さんは国際プロレスともギャラを巡りトラブルを起こし業務提携も1月末で打ち切りとなったのです。
様々なスキャンダルがあった東京プロレスはわずか3ヶ月で崩壊したのです。
お金の揉め事が多いなぁ
こうして見ると猪木さんは、この頃から金絡みの揉め事があったんですね。
そんな猪木さんに日本プロレス復帰の話が来たのです。
つづく…
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