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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもといえ)の三男、広家(ひろいえ)です。
天文11年(1542年)1月11日、大内軍は総勢15,000の軍勢で山口を出発した。
総大将は大内家当主、大内義隆(おおうちよしたか)であった。
従うは義隆の長男、晴持(はるもち)、家臣の陶隆房(すえたかふさ)、杉重矩(すぎしげのり)、内藤興盛(ないとうおきもり)らであった。
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大内軍は19日に戦勝祈願で厳島神社(いつくしまじんじゃ)へ渡ったのだ。
毛利元就(もうりもとなり)は隆元(たかもと)や次郎(じろう、後の元春)と少数の家臣を連れて厳島神社に駆けつけた。
次郎は尼子(あまこ)攻めに参加できないのであれば、せめて戦勝祈願は上げさせてほしいを元就に懇願し、着いてきたのである。
厳島で義隆に挨拶した元就は少し不安になった。
その表情を見た隆房は、
隆房「元就殿、心配気な表情になっておるな。」
元就「…いえ、そんなことは…」
隆房「わしも御館様(義隆のこと)が浮かれているようで心配なのだ。」
義隆は吉田郡山城の戦い(よしだこおりやまじょうのたたかい)で敗北した尼子から多数の国人衆が大内の味方になり、喜んでいたのである。
隆房「戦は勢いが大事だ。戦勝祈願もよいが、早く進軍せねば国人衆が心変りをするやもしれん。」
元就「まぁ…確かに…」
元就の心配はそれ以外にもあったのだ。
そこへ次郎がやってきた。
次郎「隆房殿!わしも戦に行きとうござります!」
元就「これ!次郎!」
隆房「ほぉ、そなたが先の籠城戦で初陣を果たし手柄を上げた元就殿の次男か。戦に行きたいのか!?」
次郎「はい!わしの腕を試しとうございます。」
元就「次郎!やめぬか!」
隆房「ならば、その腕をわしが見てやろう。」
隆房は木刀を持ち、
隆房「次郎、そなたは腰の太刀でわしにかかってこい!わしに一太刀でも入れたら戦に連れていってやろう!」
元就「隆房殿!」
隆房「任せておけ!」
次郎「参る!」
次郎は真剣を持ち、隆房を睨むように見た。隆房は木刀を構え、じっと次郎を見た。
次郎「……」
次郎は今までにない緊張感を味わっていた。
次郎「やっ!」
次郎は正面からかかっていった。
バシッ!
隆房の木刀は太刀を持つ次郎の手を打った。
次郎「ぐっ!」
次郎は太刀を落とし、目の前には隆房の木刀の先があった。
隆房「まだまだだ。よいか、留守を守るのも武士としての立派な勤めなのだぞ。」
次郎「くっ……参りました。」
次郎はそれ以上何も言えず、尼子攻めへの出陣を口にしなくなった。
厳島を出た大内軍は毛利軍や吉川興経(きっかわおきつね)、小早川正平(こばやかわまさひら)ら安芸や石見の国人衆と合流し、最終的には4万を超える大軍になった。
次郎は郡山城で日々、剣術の稽古をしていた。
尼子攻めの様子は毛利の忍び、世鬼正時(せきまさとき)の家臣が報せてくれていた。
4月に入り、ようやく出雲国に入った大内軍は尼子の拠点、赤穴城(あかなじょう)を攻めた。
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次郎は赤穴城はすぐ落とせるだろうと思っていたが…落城したのは7月末だったのだ。
次郎「大軍なのに苦戦しておる…なぜた…?」
次郎は嫌な予感がしていた…。
つづく…
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