世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
「新たな将軍は清晃(せいこう)様改め足利義遐(あしかがよしとお)様である!」
細川政元(ほそかわまさもと)は高らかに新しい将軍擁立を宣言し、足利義材(あしかがよしき)の将軍職を廃したのだ。
京の義材一派はことごく一掃され、義遐一派が制圧していた。
河内に遠征していた義材の元には畠山政長(はたけやままさなが)のみが残り、諸大名や奉公衆は京に引き上げ新将軍、義遐に従ったのだ。
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政長「御所様(義材のこと)、心配いりませぬ。我が軍は8,000、さらに紀伊国から我が子、尚順(ひさのぶ)が大軍を率いて、こちらに向かっておりまする。まだまだ勝機はこちらにありまする!」
義材「そうか、政長、気強く思うぞ!」
しかし、河内に向かっていた畠山尚順の軍は堺で阻まれていたのだ。
阻んだのは赤松政則(あかまつまさのり)の軍だった。
政則「この先は行かせぬぞ!」
これも政元の計算通りだった。政元は自らの姉、めしを政則に嫁がせて縁続きになっていたのだ。
そして政元は家臣の上原元秀(うえはらもとひで)、安富元家(やすとみもといえ)からなる細川の軍勢を河内に派遣したのだ。
政元「元秀、丹波の国人一揆の不出来、此度の戦で取り戻すのだ!」
元秀「はっ!必ず討ち取って参ります!」
政元「政長は討ち取ってもよいが、義材様は殺してはならぬ。生け捕りにしてまいれ!よいな!」
義材、政長の籠る正覚寺は細川軍、それに従った諸大名の軍、さらに畠山義豊の軍…4万の大軍に囲まれたのだ。
義材「…これでは…援軍も来ぬ…」
政長「御所様…申し訳ごさいませぬ。もはやこれまで…」
細川軍を初めとする義遐軍は一気に正覚寺を攻め落とし、政長は自害し果てた。
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