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それは5月の新日本プロレスの川崎大会が始まりでした。
新日本プロレスが提唱したIWGPに参加するという名目で新日本プロレスに参戦表明したのです。
これは新日本プロレスのレスラー引き抜きでした。
当時、新日本プロレスはテレビ放送が金曜20時でいい視聴率を出していました。
さらにアメリカのWWF(現在のWWE)と提携しており外人レスラーも充実。
タイガーマスク(初代)がデビューしたばかりで、まさにイケイケの状態でした。
そんな時にブッチャーの引き抜き。
新日本プロレスとしては全日本プロレスを潰しにかかってました。
全日本プロレスの馬場さんは、
馬場さんと同様にザ・ファンクス(ドリーとテリー)も大激怒。
しかし、馬場さんとファンクスは動きが早かった。
当時、新日本プロレスのトップ外人レスラーのスタンハンセンの引き抜きに動いたのです。
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6月には馬場さんはハンセンとアメリカで会い、全日本プロレス参戦の約束を取り付けました。
ハンセンは新日本プロレスとの契約が12月まで残っていたので、それまで待って参戦するというと契約にクリーンな馬場さんは了承します。
ハンセンとのことは秘密裏に動いたのです。もちろん新日本プロレスは全く気づいてはいませんでした。
この後、7月に馬場さんは新日本プロレスからタイガージェットシンを引き抜きました。
新日本プロレスとしてはファンに飽きられていたシンなら引き抜かれてもいいと思っていたのでしょう。
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この後も2団体の引き抜き合戦が行われました。
新日本プロレスはディックマードック、タイガー戸口
全日本プロレスはチャボゲレロ、上田馬之助
当時、崩壊したばかりの国際プロレスの外人レスラー(アレックススミルノフ、ジプシージョーなどなど)は全日本プロレスに参戦。
それでも新日本プロレスは強気でした。
ハンセンに「全日本プロレスは潰れる」と移籍しないように契約更新を求めていました。
ハンセンはうまくはぐらして先送りにしたのです。
新日本プロレスはまだハンセンと全日本プロレスの密約は気づいていません。
そして迎えた12月、新日本プロレスはMSGタッグリーグ戦が12月10日で終了。
新日本プロレスのシリーズが終わりアメリカに帰ったはずのハンセンが12月11日に全日本プロレスの興行が行われる横須賀に現れたのです。
この時はハンセンの親友ブルーザーブロディに会うためだけと思われました。
そして…12月13日、全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」蔵前国技館大会。
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まさにまさに驚愕!!
このハンセン登場は馬場さんとファンクスが考えたものですが、凄いインパクトでしたね。
試合に乱入したハンセン、
これでハンセンが全日本プロレス参戦が決定的になったのです。
試合後、馬場さんは珍しくマイクを握り、ハンセンとの対決をファンにアピールしました。
しかし、馬場さんは内心は「してやったり」だったでしょう。
ハンセンが全日本プロレスに登場したことを知った新日本プロレスは愕然としたでしょうね。
翌年、馬場さんはマイクアピールどおりハンセンとシングルマッチを行い、この試合はその年のプロレス大賞のベストバウトに選ばれました。
そして、馬場さんと猪木さんが会い、両団体による引き抜き防止協定が結ばれました。
この引き抜き合戦は仕掛けた新日本プロレスが白旗を上げたのです。
新日本プロレスの敗因は、
馬場さんを怒らしてしまった
ことだと思います。
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