天狗将軍 〜第43話 政元と富子〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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世は争乱…

我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。




細川政元(ほそかわまさもと)が我が母、日野富子(ひのとみこ)に呼ばれ小川御所に来たのは我が髷を切った後だった。


政元「御台様、お呼びにごさいますか?」

富子「政元殿…義尚のことは聞きましたか?」

政元「…はい。徳大寺公有(とくだいじきんあり)の娘に執着し、果ては髷を切ったと…」



コアラ義尚さん、徳大寺公有さんの娘が自らの父・義政(よしまさ)さんの側室なのを知っても執着したんだよね


富子「まったく…将軍の地位にありながら情けない。」

政元「御所様は今はどちらに?」

富子「政所執事の伊勢貞宗(いせさだむね)の館にいます。貞宗は義尚の養育係でもあり、今は義尚も落ち着いています。」

政元「御所様が執着した政子(まさこ)姫は?」

富子「京から追い出しました。大御所〔義政のこと)様の寵愛を受けながら、義尚と関係を持つとは…人の道に外れた恐ろしい女です。政元…この女の処分、そなたに任せます。」

政元「斬れと?」

富子「また京へ舞い戻ってくるやもしれませぬし、義尚が探し出すかもしれませぬ。毒になるものは排除せねばなりませぬ。」

政元「わかりました。」

富子「ところで…政元殿は摂津の国人一揆鎮圧では畠山義就(はたけやままさなり)と和睦し、畠山政長(はたけやままさなが)を置いてきたとか…」

政元「はい、我が領地、摂津が治まれば、それでよいと思い、帰京しました。畠山の争いには巻き込まれたくありませぬ。」

富子「さすがです。応仁の乱の原因のひとつでもある畠山の争い。これ以上、幕府が絡んでは何のために乱を治めたのか、わかりませぬ。」

コアラ畠山氏の家督争いは斯波氏の家督争いと並んで応仁の乱勃発の原因なんだ




政元「私も同感です。幕府は他家の争いに介入すべきではないと思います。」

富子「しかし、畠山はいつまで争っているのか…ともかく義尚のこと…頼みます。そなたには今後も何かと頼りにしていますよ。」


文明15年(1483年)になっても畠山政長と義就は河内国で戦を続けていたのだ。





政元は我を尋ねて伊勢貞宗の館にやって来た。


政元「御所様、落ち着かれましたね?」

義尚「…あぁ、我もどうかしていたのか…」

政元「勢い余って髷を切るなど…聞いた時は驚きましたぞ。」

義尚「政子姫はどうしただろうか?」

政元「…出奔したと聞いております。」

コアラ出奔って逃げて姿をくらますことだね

義尚「そうか…母上が追い出したのだろ…くそっ!」

政元「…」


この時、政元の配下のものが政子姫を斬った後だったのだ。





我はこの後、小川御所には帰らす、貞宗の館を住まいとした。


そして、この頃から我は酒を飲むことが多くなった。





この年の9月、河内国では義就が犬田城の戦いで政長を破り、河内を平定した。



ところがこの争いが思いもよらぬところに飛び火し、政元も巻き込まれることになるのだ。


思いもよらぬところ…それは山城国であった…。







つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜









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