世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
細川政元(ほそかわまさもと)が我が母、日野富子(ひのとみこ)に呼ばれ小川御所に来たのは我が髷を切った後だった。
政元「御台様、お呼びにごさいますか?」
富子「政元殿…義尚のことは聞きましたか?」
政元「…はい。徳大寺公有(とくだいじきんあり)の娘に執着し、果ては髷を切ったと…」
富子「まったく…将軍の地位にありながら情けない。」
政元「御所様は今はどちらに?」
富子「政所執事の伊勢貞宗(いせさだむね)の館にいます。貞宗は義尚の養育係でもあり、今は義尚も落ち着いています。」
政元「御所様が執着した政子(まさこ)姫は?」
富子「京から追い出しました。大御所〔義政のこと)様の寵愛を受けながら、義尚と関係を持つとは…人の道に外れた恐ろしい女です。政元…この女の処分、そなたに任せます。」
政元「斬れと?」
富子「また京へ舞い戻ってくるやもしれませぬし、義尚が探し出すかもしれませぬ。毒になるものは排除せねばなりませぬ。」
政元「わかりました。」
富子「ところで…政元殿は摂津の国人一揆鎮圧では畠山義就(はたけやままさなり)と和睦し、畠山政長(はたけやままさなが)を置いてきたとか…」
政元「はい、我が領地、摂津が治まれば、それでよいと思い、帰京しました。畠山の争いには巻き込まれたくありませぬ。」
富子「さすがです。応仁の乱の原因のひとつでもある畠山の争い。これ以上、幕府が絡んでは何のために乱を治めたのか、わかりませぬ。」
政元「私も同感です。幕府は他家の争いに介入すべきではないと思います。」
富子「しかし、畠山はいつまで争っているのか…ともかく義尚のこと…頼みます。そなたには今後も何かと頼りにしていますよ。」
文明15年(1483年)になっても畠山政長と義就は河内国で戦を続けていたのだ。
政元は我を尋ねて伊勢貞宗の館にやって来た。
政元「御所様、落ち着かれましたね?」
義尚「…あぁ、我もどうかしていたのか…」
政元「勢い余って髷を切るなど…聞いた時は驚きましたぞ。」
義尚「政子姫はどうしただろうか?」
政元「…出奔したと聞いております。」
義尚「そうか…母上が追い出したのだろ…くそっ!」
政元「…」
この時、政元の配下のものが政子姫を斬った後だったのだ。
我はこの後、小川御所には帰らす、貞宗の館を住まいとした。
そして、この頃から我は酒を飲むことが多くなった。
この年の9月、河内国では義就が犬田城の戦いで政長を破り、河内を平定した。
ところがこの争いが思いもよらぬところに飛び火し、政元も巻き込まれることになるのだ。
思いもよらぬところ…それは山城国であった…。
つづく…
にほんブログ村


