世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
文明3年(1471年)暮れ、聡明丸(そうめいまる)は父である細川勝元(ほそかわかつもと)に連れられ、我と我が母・日野富子(ひのとみこ)に会いにきた。
富子「よく来ました。聡明丸、こないだは我が子・春王(はるおう、義尚の幼名)を山名宗全(やまなそうぜん)から守り、助かりました。礼を言います。」
聡明丸「あっ、ありがとうございます。」
勝元「本来なら深夜に出かけることを若様にお諌めする立場なのに、礼とは…誠にあいすまぬことでございます。」
富子「いや、外の世界を見ることも大切な経験です。ところで、山名と和睦の話し合いをするとか…」
勝元「はい、この乱を終わらせねばなりませぬ。宗全殿も同じ思いのようにございます。」
富子「私も同じです。実は密かに洛中へ忍んでみましたが…あまりの荒れように言葉が出ませんでした。」
春王「母上も御所の外を見たのですか?」
富子「はい、これがあの美しかった京の姿かと目を疑いました。…勝元殿、何としても、乱を終わらせねばなりませぬ。春王に成り代わってお願い申し上げます。」
母は勝元に頭を下げて頼んだのだ。
母は母なりにこの乱に心を痛めていたようであった。
聡明丸はこの時、母・富子をどう見ていたのか?
後年、聡明丸と母は足利将軍家を傀儡にするのだか…この時はそんなことはつゆとも思ってないだろう。
そこへ…
「何をしておる…?」
入ってきたのは我が父であり8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)であった。
富子「御所様、勝元殿が山名と和睦の話し合いに行くのですよ。私は1日も早く、この乱を終わるよう頼んでいたのです。」
義政「ふん、わしは争いを止めよと何度も申した。なのに細川も山名も…誰も止めず争ったのだ。何をいまさら…」
この時の父は少し酒に酔っていたようであった。父は政に嫌気をさし、この頃は昼間から酒を飲むこともしばしばあったようだ。
勝元「御所様…いまさら言い訳は致しませぬ。今は乱を終わらせることに精進いたします。」
義政「…勝元…本当にできるのか?和睦が…」
勝元「命がけで挑みます。」
我は勝元の本気を感じていた。勝元ならやるだろうと…
翌年、文明4年(1472年)1月、勝元と宗全は和睦の話し合いをしたが…和睦はならず決裂したのだった…。
つづく…
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