白の執権 こぼれ話⑤ | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

今回は歴史連載物語「白の執権」のこぼれ話、5回目です。

コアラ本編も読んでね〜、目次はこちら⬇️




承久の乱(じょうきゅうのらん)で戦後、自ら望んで配流された土御門上皇(つちみかどじょうこう)。

土御門上皇


争わない穏やかな性格でしたが、父・後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が鎌倉幕府と争うのを「今はその時ではありませぬ」と止めていました。

後鳥羽上皇

コアラ「その時ではない」っていずれは争うつもりだったのかな?



戦後、父や異母弟の順徳上皇(じゅんとくじょうこう)が配流となる中、承久の乱には関わりがなかったのに、「京にいるのは忍びない」と幕府に配流を求めたのです。

順徳上皇


幕府はしぶりましたが、願いを聞き入れて、1221年、土佐国(現在の高知県)に流されました。



幕府は土御門上皇には高待遇をし、1223年はより京に近い阿波国(現在の徳島県)に移したのです。


さらに阿波国の守護・小笠原氏(おがさわらし)に命じ、宮殿を造営させたのです。

コアラ「白の執権」の中でも北条泰時(ほうじょうやすとき)さんは土御門上皇さんに京に戻ってきてほしかったって描かれてるよね





土御門上皇は1231年に崩御されます。

最後の地と言われているのが…


阿波国の御所神社(ごしょじんじゃ)。

コアラ土御門上皇さんが阿波国で居た御所は説によると他にもいろいろとあって、はっきりとはしないみたいね



土御門上皇の天皇陵は京都府長岡京市にある金原陵。

金原陵



さらに徳島県鳴門市の阿波神社(あわじんじゃ)には火葬塚があります。
阿波神社





泰時としては土御門上皇に帰京してほしかったのかもしれません。

ただ土御門上皇が崩御された時は後鳥羽上皇が存命中であり、帰京する気はなかった…のかも⁈


コアラうむ〜、後鳥羽上皇さんが先に亡くなってたら…京に帰ったかな?








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