白の執権 〜第140話 頼もしい嫁〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️




諸行無常の世の中…

我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。




泰時「気をつけて行くのだぞ。時氏(ときうじ)を頼むぞ。」


1228年、泰時は京へ向かう時氏の妻・景子(けいこ)と孫たちを見送りました。

コアラ景子さんは後の松下禅尼(まつしたぜんに)さんだよね。


景子「はい、父上様。しっかり支えてまいります。」



一旦は京より鎌倉に戻っていた景子は再び京へ向かいました。

それは職務で多忙になった時氏を支えるためでした。




数日前…

ーーーーーー

泰時に京の時氏から文が届きました。


時氏は京や西国の様子を報せる文を定期的に送っていたのです。


そこへ叔父の時房(ときふさ)が来ました。

時房「おぉ、泰時殿…景子殿もご一緒でしたか…京の様子、どのように報せがありましたか?」

泰時「西国の各領地に送った地頭職の御家人と現地の荘園領主や地元民とのもめ事が多く、訴えがたくさん六波羅探題(ろくはらたんだい)に来ておるようです。」


コアラ『承久の乱』で西国にも地頭を置くようになったんだよね。


泰時「時氏はその処理に追われ休む間もないほど多忙を極めておると文に書いてあります。」

景子「…」

時房「もめ事とは?」

泰時「年貢の量が違うとか計り方が違うとか…または土地の支配権が双方で違うとか…どうも今までの公家のやり方と武家では勝手が違っているようです。」

時房「我ら武家は源頼朝(みなもとのよりとも)公以来の前例や道理でやってきましたからな。」

源頼朝

泰時「うむ〜、それが曖昧なのかもしれませぬ…時氏は決め事がないため、判断に四苦八苦しておる。」

景子「父上様、私は京へ行きます。」

泰時「なんと!?景子は新たに子が生まれて間もないというに!それに時氏が鎌倉に戻るようにと言ったのだろ?」

景子「私の身体は大丈夫です。時氏様が多忙な中、私だけがゆっくりはしてられませぬ。」

時房「泰時殿、景子殿が時氏の側にいた方がよいであろう。心の支えになりまする。」

泰時「うむ、わかった。時氏は頼もしい嫁を娶ったな。景子、時氏をしっかり支えてまいれ。」


ーーーーーー



こうして景子は京へ向かいました。


この頃、京だけでなく鎌倉にも各地の地頭や守護の御家人たちから様々な訴えがきていたのです。


幕府や六波羅探題はそれを処理してはいましたが…


泰時「このまま、旧来の前例や道理でやっていけるのだろうか…何か武家の決まり事があれば…」



この時、泰時にはひらめくものがありました。


泰時「公家には律令法や公家法がある。武家にも武家のための法を作ればよいのだ!」

コアラ律令法って古くは「大化改新」以降に作ったものかな。


泰時は時房に相談し法について調べ始めたのです。





1229年になり天候不順が続き、飢饉が起きている地域が出てきたのです…。





つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜








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