白の執権 〜第135話 両執権〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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諸行無常の世の中…

我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。




1225年初秋、京より泰時の叔父・北条時房(ほうじょうときふさ)が鎌倉に帰ってきました。


コアラ時房さんは京で六波羅探題南方の勤めをしていたんだよね


泰時と時房は宇都宮辻子(うつのみやずし)完成した新たな御所を見ていました。

宇都宮辻子御所跡



時房「これが新たな御所…泰時殿の政の出発にふさわしいですな。」

泰時「叔母上(政子様のこと)にも見てほしかった。」

時房「姉上が男に生まれたならば、将軍になったであろうな。」

泰時「叔父上、此度帰ってきて頂いたのは…執権職に就いてほしいのです。」

時房「執権!?執権は泰時であろう。」

泰時「執権は1人とは限りませぬ…亡き叔母上の影響は大きいものでした。叔母上を失った幕府を一緒に支えてほしいのです。」

時房「……うむ。ならば、わしは執権を支えよう。その役職がふさわしい。」



2人は両執権と呼ばれる複数執権体制を作り、後に時房が就いた職は連署(れんしょ)と呼ばれたのです。


コアラちなみに京で時房さんが就いていた六波羅探題南方は時房さんの長男・北条時盛(ほうじょうときもり)さんが引き継いだんだよ



泰時と時房は幕府の新たな体制を作り始めました。


有力御家人と幕府事務官僚から11人の評定衆を選びました。そして執権2人を合わせて13人を評定会議を新設し幕府の最高機関としたのです。




選ばれた評定衆は

中条家長(なかじょういえなが)

二階堂行村(にかいどうゆきむら)

三善康俊(みよしやすとし)

斎藤長定(さいとうながさだ)

三浦義村(みうらよしむら)

佐藤業時(さとうなりとき)

矢野倫重(やのともしげ)

後藤基綱(ごとうもとつな)

中原師員(なかはらのもろかず)

二階堂行盛(にかいどうゆきもり)

三善康連(みよしやすつら)




コアラこの評定会議で政策や人事、訴訟の採決なんかを行なったんだよ




時房「うるさい方も評定衆に入れましたな。」

泰時「それは三浦殿ですね。三浦殿は私の味方でありますからね。さて…次は鎌倉殿に元服していただこう。」



泰時は鎌倉殿として京から迎えられていた三寅(みとら)様を元服させました。

コアラ元服は成人になる儀式なんだ


まだ8歳であった三寅様は名を改め藤原頼経(ふじわらのよりつね)と名乗りました。


藤原頼経



そして翌1226年、頼経様は正式に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任したのです…。







つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜





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