諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1225年初秋、京より泰時の叔父・北条時房(ほうじょうときふさ)が鎌倉に帰ってきました。
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泰時と時房は宇都宮辻子(うつのみやずし)完成した新たな御所を見ていました。
時房「これが新たな御所…泰時殿の政の出発にふさわしいですな。」
泰時「叔母上(政子様のこと)にも見てほしかった。」
時房「姉上が男に生まれたならば、将軍になったであろうな。」
泰時「叔父上、此度帰ってきて頂いたのは…執権職に就いてほしいのです。」
時房「執権!?執権は泰時であろう。」
泰時「執権は1人とは限りませぬ…亡き叔母上の影響は大きいものでした。叔母上を失った幕府を一緒に支えてほしいのです。」
時房「……うむ。ならば、わしは執権を支えよう。その役職がふさわしい。」
2人は両執権と呼ばれる複数執権体制を作り、後に時房が就いた職は連署(れんしょ)と呼ばれたのです。
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泰時と時房は幕府の新たな体制を作り始めました。
有力御家人と幕府事務官僚から11人の評定衆を選びました。そして執権2人を合わせて13人を評定会議を新設し幕府の最高機関としたのです。
選ばれた評定衆は
中条家長(なかじょういえなが)
二階堂行村(にかいどうゆきむら)
三善康俊(みよしやすとし)
斎藤長定(さいとうながさだ)
三浦義村(みうらよしむら)
佐藤業時(さとうなりとき)
矢野倫重(やのともしげ)
後藤基綱(ごとうもとつな)
中原師員(なかはらのもろかず)
二階堂行盛(にかいどうゆきもり)
三善康連(みよしやすつら)
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時房「うるさい方も評定衆に入れましたな。」
泰時「それは三浦殿ですね。三浦殿は私の味方でありますからね。さて…次は鎌倉殿に元服していただこう。」
泰時は鎌倉殿として京から迎えられていた三寅(みとら)様を元服させました。
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まだ8歳であった三寅様は名を改め藤原頼経(ふじわらのよりつね)と名乗りました。
そして翌1226年、頼経様は正式に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任したのです…。
つづく…
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