今回は猪木さんが怒ってんだっけ?
新日本プロレスの10月のシリーズ、闘魂シリーズには1人のレスラーが凱旋帰国しました。
それが、
若ぁ〜い
この凱旋は全日本プロレスの輪島デビューに対抗するものだったようです。
当時はスペースローンウルフと呼ばれた武藤。凱旋デビューは藤波とのシングルマッチでした。
結果は藤波に負けましたが、新日本プロレスの将来を担うレスラーだったには間違いありません。
しかし、そんな武藤にシリーズ最終戦で壮絶な試合が待っていました。
その試合は、
アントニオ猪木、ケビン・フォン・エリック
vs
木村健吾、武藤敬司
この時、前田日明さんは先のニールセンとの試合の後遺症でシリーズ欠場、藤波さんも負傷で途中欠場してたんだよ。
武藤はケビンに流血に追い込まれました。
ところが…
えっ⁈試合終わっなのに?なぜに?
武藤のパートナーの木村が止めに入ると、木村に蹴りを入れました。
猪木さんは再び武藤への鉄拳制裁を続けたのです。
この試合はビデオにもなりました。
猪木さんの狂乱とでもいうべき鉄拳制裁はなんだったのか?
猪木さんなりの愛のムチか?
それとも猪木さんが藤波と武藤の試合が不甲斐なく見え、それに対する制裁か?
試合後の猪木さんが語りました…
ーーーーー
今、あいつらに課せられた責任ていうのはとてつもなく大きい。もう、俺なんかにおぶさっている時なんかじゃない。日本マット界の歴史の中で新日本のプロレスというものがいったいどんな意味を持っているのかってことをよく考えてほしい。俺だっていつまでも奇跡は起こせない!今日の試合を見ていたお客さんがどう思ったかは知らないし、武藤、そして木村がどう感じようと、どんなに俺を憎もうとそれは奴らの勝手だ。しかし、いつかは俺の言っていることがわかる日が必ずやってくるよ。今はゆっくりと考えてほしい。
ーーーーー
これは武藤、木村だけでなく、藤波にも対して言ったことだと思います。
猪木さんは先のレオンスピンクス戦が凡戦になり、もう限界を感じていたのでしょうか…
うむ〜
ちなみに木村は武藤が血だるまにされたことに激怒し、パイプ椅子を持ち、猪木さんの控え室にまで乗り込んでいったそうです。
木村健吾は新居浜市出身で自分も1度だけ直に会ったことがありますが温厚でいい方でしたよ。
木村さんは今は区議会議員をやってんだよね。
1986年も年末、いよいよタッグリーグ戦が始まります。
それは次回で。
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