江戸を去り水戸に行った後、慶喜はどうしたでしょう?
史実によると水戸で謹慎、徳川宗家が駿府に移封されると駿府に移り、謹慎。
こうしてみると、慶喜は幕末期にも井伊直弼(いいなおすけ)により謹慎をしており、謹慎生活ばかり行なってますね〜
1869年、戊辰戦争が終わり、ようやく謹慎が解除されましたが、そのまま駿府改め静岡に居住しました。
そして…趣味三昧の生活を過ごしたそうです。
絵を描いたり、写真を撮ったり、趣味に没頭する生活でした。
まさに!ひー様ですね〜
旧幕臣には訪問されても会おうとはせず(一部の人のみは会ったそうです)、旧家臣の生活が困窮していても無関心…
その頃の世は士族の反乱が起きていましたね。江藤新平(えとうしんぺい)の佐賀の乱とか前原一誠(まえばらいっせい)の萩の乱…そして西郷隆盛(さいごうたかもり)の西南戦争。
皆、士族に担がれて戦になりました。
そんな世の中、慶喜を担ぐものが出てきても不思議ではありません。
慶喜は無関心を装い、自らが担がれぬようにして戦を起こさせぬようにしたのかもしれませんね。
世も落ち着いた1897年に慶喜は東京に移住。翌年には明治天皇に拝謁しました。
西郷さんが戦死、大久保さんは暗殺され、岩倉具視(いわくらともみ)も亡くなり、かつての政敵が世を去りました。
慶喜は1913年…大正期に死去、享年77歳。
時勢と自らの存在感を読み、静かに暮らした慶喜でしたね。

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