諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1189年6月に亡くなった源義経(みなもとのよしつね)の首が奥州平泉から鎌倉に届きました。
平泉の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)はこれで源頼朝(みなもとのよりとも)様に恭順の意を示していたのです。
しかし…頼朝様は鎌倉にいる御家人たちを集め、
頼朝「今まで謀反人、義経を匿ったことは大罪である…奥州藤原氏を攻める!全国の武士らに馳せ参じよと伝えよ!」
義時(よしとき)「朝廷による追討の宣旨は頂かないのですか?」
朝廷は泰衡追討の宣旨を出さず検討しているところでした。
この時、御家人の1人、大庭景義(おおばかげよし)が進言します。
景義「奥州藤原氏は源氏の家人。それを討つのに宣旨は必要ありませぬ。戦陣においては朝廷より将軍の意向が優先されるのです。」
頼朝「よし!わしも出陣する!」
奥州攻めに集まった兵は28万騎にも及びました。
頼朝様や義時が出立の際、正室の政子(まさこ)と金剛(こんごう、泰時の幼名)が見送ります。
金剛「頼朝様、父上、ご武運を!」
頼朝「おぉ、義時の長男だな。」
金剛「はい、金剛と申します。」
政子「はや6歳になりました。利発な子にございます。いずれは殿に仕えることになりますね。」
頼朝「そうか、この戦は長く続いた争いの終わり、これで全国統一となろう。」
金剛「これで争いはなくなるのですか?」
頼朝「うむ。武士の世になるのだ。では参る!」
政子は頼朝様を見送りながら不安を感じていました。
政子「御家人たちがこの先も従えば良いのですが…」
頼朝様は軍勢を3つに分け平泉に進軍しました。
阿津賀志山(あつかしやま)で鎌倉軍は泰衡の兄・国衡(くにひら)率いる軍勢と戦い、これを打ち破りました。
鎌倉軍は平泉に入り、逃亡した泰衡を探索しました。
そして、頼朝様の元に泰衡の首が届いたのです。
頼朝「これで奥州も制した。」
その後、頼朝様は義時を連れ、平泉の衣川にある館を訪れました。
そこは義経が討たれた場所だったのです。
頼朝「…この非情な兄を許せ。武士の世を作るためだ。すまぬ、我が弟よ…。」
頼朝様はその場にうずくまり泣いたのです。
その姿を義時はじっと見ていました。
義時は頼朝様の本当の人間味を見たのでした…。
つづく…
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