さぁ〜て、今回も前回に引き続き全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦の愛知県体育館大会だね。
愛知県体育館で起きた波乱、2つ目はテリーファンクの暴走です。
テリーは前年の8月31日、蔵前国技館で涙の引退をしました。
その後、レフリーとして来日したり…
兄・ドリーファンクJr.のセコンドとして来日しました。
しかし、セコンドと来日した1984年8月の田園コロシアム大会でハンセン、ブロディに痛めつけられ、復帰を決意。
そして日本での復帰がこの世界最強タッグ決定リーグ戦でした。
テリーって初来日の頃から膝が悪かったみたいね。
復帰したテリーを見ていたら約1年療養したのか、引退前より動けてはいました。
引退前は凄まじい人気だったテリー、しかし復帰後…ファンの反応は冷たかったのです。
あの涙の引退は何だったのか……
テリー引退は全日本プロレスとTV局、そしてテリーが企画したビジネスだったものと感じます。
あ〜、なんかイヤだね。
ハンセン、ブロディとの因縁を理由に復帰というアングルもファンには受けませんでした。
実際、体調が良くなったとはいえ、テリーがハンセン、ブロディに真っ向から戦う試合は既に無理があったと思います。
ハンセン、ブロディと戦うのはやはりジャンボ鶴田や天龍。
愛知県体育館大会のメインは世界最強タッグ決定リーグ戦の公式戦、
ドリーファンクJr.
テリーファンク
vs
スタンハンセン
ブルーザーブロディ
試合はドリーがハンセン、ブロディに椅子で痛めつけられ、それに怒ったテリーがブロディのチェーンを持ち暴走しテリーの反則負けとなりました。
以前のような人気にならないことを感じたテリーのジレンマが暴走しているように思えました。
日本では引退→復帰しても以前のような人気は出ず、ファンが失望した例はいくつもあります。
テリーの弟子の大仁田さんもそうだね。
テリーは復帰せず、あの涙の引退のままであれば、あの人気は保てたんじゃないかって思いました。
さて、愛知県体育館大会の最後の波乱、それはメイン終了後に起こったのです。
まさか、あの選手が…
それはまた次回で。
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