世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1571年10月3日、わしは死にました。
わしは綱成(つなしげ)と小田原城(おだわらじょう)の縁側で話をして満足して死ぬことができました。
氏康さんは享年57だったんだよ。
我が嫡男で既に北条氏の当主・氏政(うじまさ)はわしの死を既に覚悟していたのです。
氏政「綱成、父上はそなたと最期に話が出来て嬉しかったはず。父上に変わり礼を言うぞ。」
綱成「礼など…私こそ、大殿の死を見届けることができ感無量です。」
氏政「わしは父上の遺言に従い、武田(たけだ)と同盟を致す。」
氏政は武田との同盟に動き出しました。
わしが亡くなり、北条の領地の民は嘆き悲しんだそうです。
わしの葬儀が終わり、12月になり、氏政は武田との同盟を復活させたのです。
1568年に武田家が駿河国を攻めて同盟が切れて以来、3年ぶりの同盟復活だったんだよ。
綱成はこの同盟を見て、氏政にあることを願い出たのです。
氏政「綱成、ようやく武田との同盟がなった。これで父上の遺言を果たせたぞ。綱成の命をかけた交渉のおかげじゃ。」
綱成「同盟がなり私も嬉しく思います。」
氏政「同盟により西は安泰、関東平定に向けて里見(さとみ)や佐竹(さたけ)を抑えねばならぬ。」
綱成「越後の上杉(うえすぎ)もおりまする。」
氏政「うむ。わしには父上が残してくれた小田原城(おだわらじょう)がある。上杉や武田が攻めても落ちなかったこの城がある限り、誰にも負けはせぬ。」
氏政さんの小田原城だよりが後に豊臣秀吉(とよとみひでよし)さんの小田原征伐(おだはらせいばつ)で身を滅ぼすことになるんだ。
氏政「これからも綱成の力は頼りにしておるぞ。」
綱成「……御館様、本日はお願いがあって参りました。」
氏政「願いとは何じゃ?」
綱成「綱成、家督を我が嫡男・康成(やすしげ)に譲り出家、隠居致しとうございます。」
氏政「何⁉︎ 」
つづく…
次回をお楽しみに〜
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