世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1550年、関東管領・山内上杉憲政(やまのうちうえすぎのりまさ)は居城の平井城(ひらいじょう)にいました。
憲政は河越夜戦で我が北条に負け、1547年には武田(たけだ)が攻める信濃国の志賀城(しがじょう)を救援にいきましたが、小田井原の戦いで武田晴信(たけだはるのぶ)に大敗したのです。
憲政「平井城に居れば安心するの〜。まだ上杉には関東の武家が付いておるしの〜。」
ところが…
憲政の家臣「殿!!忍城(おしじょう)の成田が離反しましたぁー!」
憲政「なっ、何ぃ〜⁈ 」
成田だけでなく、山内上杉家の代々の家臣までもが離反し我が北条に付いたのです。
綱成(つなしげ)は山内上杉家の家宰・長尾当長(ながおまさなが)を北条側に付けるべく交渉をしていました。
綱成は書状を何回も出し根気よく説得していったのです。
そして、
当長「あの北条綱成から、これだけ頼まれたのじゃ。したかたあるまい。わしは北条に付こう。」
長尾当長も北条側になったのです。
我が北条は味方を増やしながら憲政を囲んでいったのです。
そして1551年、我が北条は平井城攻めを始めました。
綱成も軍を率い進軍しました。そこへ忍びの美郎(よしろう)が現れました。
美郎「殿、陣中では飯にお気をつけくだりませ。」
綱成「飯…毒を盛るものがいると言うのか?」
美郎「はい。私も付いて行きます。」
綱成「暗殺者も忍びを放っておるのか?」
美郎「その恐れもありますゆえ。」
しかし、暗殺者は綱成を狙っているので無差別に裏から攻めていたのです。
我が北条軍は上杉側の武蔵国の御嶽城(みたけじょう)を落とし、いよいよ憲政の居る平井城に迫りました…。
つづく…
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