高尾城は、高尾山の山頂にあって、山は険しくかなり大がかりな空壕を前後に備えた堅固なお城であった。しかも後方から、兵糧や水が補給されることもあって難攻不落を誇った城であった。
昔、この高尾城にたいへん強く、りっぱな城主がいて、数多くの戦いにも敗れることがなかった。
しかし、ある時の戦いに、この城は正面からいかに大軍をもって攻めても、みだりに将兵を失うだけだと気がついた敵将が、後背の補給路を断つことを思いつき、はるか芦屋川を迂回して後の山に出ようとしたが、土地不案内と深山のこととて、その補給路を探し出すことができなかった。
ところが、ある日山に入った敵将が年老いた老婆に出逢い「高尾山の応援にきたが、土地不案内で困っている、高尾城に行く道を教えてほしい。」と頼んだ。あざむかれたとは知らず老婆は「今度の戦いでは高尾のご城主様もたいへん困っていなさる、早く行って助けてあげてください。ご城主様も大喜びなさるだろう。」と、くわしく城への道を教えてしまった。
高尾城の後背部にも大きな空壕の備えがあるとはいえ、背腹から攻撃をうけては、さすがの堅城も持ちこたえることができず、ついに落城してしまった。
高尾城をでた城主は、高尾の地区にたどり着かれたが、寄手の大軍のため壮烈な討死を遂げた。その霊をなぐさめるため、高尾大権現としてお祀りすることとなった。
このようなことから高尾に入山の際は、必ずお高尾さんにお詣りして山の仕事に取りかかったものである。
また、高尾の人々が総出で、前夜より高尾に登りお通夜で慰霊祭を行っていたが、大平洋戦争以後は地区内持ち回りのお祭りになり、いつとはなく立ち消えになってしまった。
現在の高尾城址には、石積みの上に一体の石地蔵が安置されているが、ほとんど参詣する人もなく、もちろん入山するのは四国電力の鉄塔管理のため入山する程度で、かえりみる人もいない。
高尾には、年一回のお祭りに高尾大権現の宝前に掲げられているという、古びてポロボロの軸が一本ある。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
以上がむかしばなしですが、高尾城を攻めたのは誰なのか?城主は?どの戦いだったのか?等々謎がありますね。
攻めたのは羽柴秀吉配下の毛利軍、戦いは「天正の陣」と考えます。
高尾大権現というのは
中萩地区の史料にあったこれかな?
