崇徳上皇方でも源為朝が夜襲を献策しましたが藤原頼長に退けられました。為朝は兄・義朝は必ず夜襲をしかけてくると予見し口惜しがりました。
その予見どおり天皇方は夜襲をしかけてきました。
平清盛の軍勢は為朝の守る西門を攻めます。
源為朝は2m10㎝の大男でとてつもない暴れ者。九州に追放されたが暴れ回り、九州の豪族を従え3年で九州を平らげてしまいました。
源為朝
清盛の郎党が為朝に挑み、矢を放ちましたが為朝は物ともせず、逆に矢を放って矢は清盛の郎党の体を貫きました。
清盛たちは驚愕し怖気づいてしまいます。
清盛の軍勢に変わり義朝の軍勢が西門を攻め、乱戦となりました。
義朝は「馬上の技では坂東武者の方が上である」と攻めます。
為朝の軍勢、28騎のうち23騎が討死しましたが義朝の軍勢も50騎討死しました。いかに為朝が強かったがわかりますね。
攻めあぐねた天皇方は義朝の献策で火攻めを行いました。
たちまち上皇方は混乱、総崩れとなります。崇徳上皇、藤原頼長らは御所を脱出、逃亡しました。
後白河天皇方の勝利です。
崇徳上皇の悲運は続きます。