父の日に寄せて 父と車と私 | HIDEの食って走って

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子供の頃、我が家は貧乏だった。父が山口で事業に失敗し、夜逃げのような形で母の実家を頼って横浜へ移り住んだ。私はまだ生まれて半年くらいの頃だったと聞いた。昭和30年代の話だ。

 

私が物心ついた頃にもまだ貧乏の真っ最中で、家は汚い借家。風呂もなく2日に1度銭湯に通っていた。食べ物も粗末なものを食べていたと思う。 私の服も既製品が買えず全部母の手作りだった。友達の服と明らかに違うのが恥ずかしかったっけ。。

 

両親は昼間、身を粉にして働き、帰宅して夕食後は深夜まで内職をしていたのを覚えている。

 

そんな我が家も両親の頑張りと日本が高度成長期に入った為か、暮らし向きは徐々に良くなり、家を買い、遂に念願のマイカーを手に入れた。中古のコロナだったと思う。その時の父の喜びようは今でもはっきり覚えている。

 

父は車好きで(昔の男はみんな車好きだったと思うが)夢はいつかはクラウン。それが働くモチベーションになっていたようだった。

 

その後。父は色々な車を乗り継いで、晩年ついにクラウンを手に入れた。それこそ大喜びだった。私もその時は免許を持っていたのでたまに借りようとしても中々貸してくれなかった。

 

そんな父が私に言ったのは「俺はクラウンに乗るのが夢だった。ようやく夢が叶った。でもHIDEよ。お前はクラウンじゃダメだ。ベンツを乗るようになれ」

 

それが頭にあったので、私もいろんな車を乗り継ぎながら40歳頃にベンツを手に入れた。もうその時には父はいなかったが。。見せたかったなぁ。

 

ベンツは結局2台乗り、今は家族で乗るための5人乗りの国産車と、遊び用の国産の2シーターのオープンカーを所有している。

 

父から託された約束は果たしたが、果たしてこれで良いのか。ベンツを飛び越えもう一段階上に行って、あの世で親父にどうだと自慢してみたい気もする今日この頃ではある。