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ひでのブログ

おもいうかんだことをいろいろかきます

10日にオペラシティで東フィルのヘンツェを聴ける予定だったのだが,仕事でいけなくなってしまい,チケットを無駄にしてしまった。どうだったのかがすごく気になる。悔しいのでここに書く。

それはそれとして,DIR EN GREYのライブに参戦するため,気を取り直して6月以来の関西へ。今回は秋の連休ということでホテルがとれず,カプセルホテル&夜行バスという過酷な旅になってしまった。

行きは新幹線で新神戸へ。神戸は昨夏も来たのだけれど,すっかり大好きになってしまった。じっくり計画をたてる時間もないので,とりあえず三宮センター街から元町方面へ。ふと古本屋さんに立ち寄る。たしか去年も寄った気がする。品揃えが好みにぴったりなのだ。口惜しいが,かさばるから1冊にしておいた。南京町の中華街で大好物の油淋鶏と刀削麺を食す。センター街を引き返し,三宮から北野へ。それなりに距離はあるが,この街を歩くのは全く苦にならない。北野では2~3人で歩く女性とよくすれ違うが,かわいいともセクシーとも違う,淡い色のブラウス,青や赤のワンピースやベレー帽が似合う人がきれいな多い(気がする)。このまま神戸に住んでしまいたいとかなり本気で思ったけど,たぶん観光客だから恐らくここに住んでいるわけではないのだろう,と心を落ち着ける。


風見鶏の館

三宮駅のさんちかの神戸フランツでおみやげを買う。ここはお菓子もいいけど,箱のデザインや店員さんがおしゃれだから,ここもお気に入り。

三宮から東海道線で京都駅へ。カプセルホテルに荷物を置いてから,ライブ会場のKBSホールへ。
覚悟はしていたが,今回のライブはかなりコアで,まるで宗教的な儀式のようだった。セットリストは京のグロウルとファルセット主体の禍々しい曲ばかりで,オーディエンスの多くもどう盛り上がっていいか戸惑っている様子だった。関西のファンの方がおとなしいのだろうか。もちろんヘドバンしている人もすぐ横にいたけど。

夕食の場所を探して放浪した挙句,カプセルホテル近くの焼き鳥屋さんで一杯呑むことする。そしてかなり食べた。あちらでは「ねぎま」は「とりねぎ」,「ぼんじり」は「さんかく」というようだ。

翌日は6月に行かなかった桂・嵯峨野・嵐山へ。観光客でごった返しているので,自転車を借りて突破を図ることにした。


憧れの桂離宮は休みだった。


大覚寺。嵯峨野の紅葉はまだ始まっていない。


清凉寺。

南禅寺を目指し,東山へ。今回はもちろん自転車だ。


時期が中途半端だったため,いまひとつ趣きがでない。

自転車を返しに再び嵐山へ。四条通を爆走する。
途中でお祭りに出くわす。京のお囃子はどこかショスタコーヴィチの「レニングラード」の第1楽章の「戦争の主題」に似ていて,自転車に乗っている間,耳から離れなかった。
河原町・烏丸あたりは人と自動車で混雑しているが,この辺りはもはや自転車の独壇場だ。帰りは意外にも楽に着いた。苔寺・鈴虫寺・松尾大社あたりを散策し,嵐山へ無事帰還。


渡月橋はいつもの穏やかさを取り戻していた。

四条や京都駅前で時間を潰して,夜行バスで東京へ。
バイバイ,京都。

今度は祇園や東福寺あたりに行きたいな。

自分のではないです。機会を得て,知り合いのピアニストのレコーディングに立ち会うことになったのです。会場はかつしかシンフォニーヒルズ,アイリスホール。マイクがたくさん。ピアノの周囲に5本。ステージ正面に1本。客席の床面に2本。


4時間ほどでCD1枚分の録音が終わった。さすがプロのピアニスト。これからエンジニアがミキシングをして,ピアニストが使用するテイクを指定。エンジニアがトラックを編集してマスター音源を作成する流れになるそうだ。エンジニアさんからおまけで以前に発売したCDのマスターをもらった。
今度,自分のピアノのCDを作ってみようかな。練習にも多少張り合いがでるだろうし。1月に1曲ペースでも,1年くらいあれば60分の長さにはなると思う。しかし,たぶんがっかりすることになるんだろうな。

読み終えることができたのは2冊だけだったが,どちらもすばらしい読書体験をもたらしてくれた。
A World Without Islam/Back Bay Books
¥830
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「宗教やイデオロギーの要素が抵抗や暴力行為を結晶化し,喚起するうえで一定の役割を果たしていることに疑いの余地はない。しかし,それらは問題の実際の根源ではない。」(本書 p.306) 筆者の言いたいことはこの文章に要約されている。宗教やイデオロギーが厄介なのはむしろ「問題の根源ではない」という点にあるのではないかと思う。思想的対立には何かしら現実的な要因(領土問題や経済的利権,歴史的遺恨,そして超大国の覇権争いなど)があるのだが,その現実的な要因は思想的な要素に覆い隠されている。そしてその現実的な要因に直接アクセスを試みようとすると,思想的なレイヤーで現実的な対立が噴出するという構造。少なくとも19世紀末までは完全な辺境に置かれていた日本は,幸いにしてこうした複雑な状況を免れてきた。共産主義の影響も一神教の影響もうまくやり過ごしてきた。しかし筆者の論にしたがえば,それは私たち日本人の民族性というよりもその偶然の地理的条件のおかげに過ぎないということだ。実際,日本では明治維新以前の650年余りの期間のほとんどを幕府なる軍事政権が支配しており,別の形ではあるものの日露戦争後に再び軍事的勢力が政権を握ることになったわけで,外国から見ると政治的にはそれほど平和な国家ではなかった。(一応,過去形にしておく)カナダ人の友人から「日本は最近までずっと戦争をしていた国だ」と言われてびっくりしたことがあるが,そう言われるとそうなのかもしれない。 そろそろ日本も「集団的自衛権」について本気で考えなくてはならない時代になった。日本はもう辺境ではないのだ。これまでは思想的な問題は棚上げし,なじみのない思想や宗教を一律でいかがわしいものとして忌避すれば済んだが,これからはそうもいかないかもしれない。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)/早川書房
¥756
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Amazon.co.jp 圧倒的な世界観と物語の密度に圧倒される。決して想像したくはないが,想像に難くない世界が広がる。主人公は米国人,時代は2020年代ごろの近未来の設定だが,日本政府がインドの紛争に軍事請負業者を派遣するなど,まさに世界規格のSF小説になっている。「虐殺器官」というタイトルどおりの壮絶極まる世界を描きながら,スタティックな文体と語彙選択が硬質な美しさを作り出している。どこか米国のSF小説の翻訳を読んでいるような感覚もある。非常に読み応えのある小説である。筆者の夭折が悔やまれるとともに,その不在がどこか寂しげな,いや涼し気な…どこか名状しがたい感興を呼び起こした。こう言ってはなんだが,もしかするとそれはこの世界がもはや再生しないことへの安堵といったものなのかもしれない。それほどこの小説,そして小説家のエネルギーが強く感じられたのだ。

10月に読む予定の本
ティモシー・クラーク:ハイデガー
川喜田愛郎:医学概論
スコット・フィッツジェラルド:グレート・ギャツビー
スティグリッツ:入門経済学
バルザック:谷間のゆり/ウジェニー・グランデ
村上龍:半島を出

ほとんどが読みかけなので,今月こそはすべて制覇したい。