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ひでのブログ

おもいうかんだことをいろいろかきます

遠景

昨年10月に雪で登れなかった信州美ヶ原への自転車登坂に再挑戦。
下諏訪へ宿をとり,「今年こそは」と行きたいところだったけれど,今年は雨と強風が。自転車どころか外に出るのもいやなくらいな悪天候だった。昨日は晴れててホタルも見れたのに。がっかりしながらもとりあえず車で出発地点を目指す。さすがに2回連続で登らずに帰るというのは許せない。意地でも登ってやる。初めは霧ヶ峰から美ヶ原を目指す予定だったけど,この状況で30kmは厳しすぎるから扉峠まで車で登り,10kmだけでも登ることにした。雨が降りしきる中,自転車を組み上げ,出発。

箱根ほどの坂ではないが,それなりに登り甲斐がある。むしろ突風がきつい。時折あおられつつも,1時間かけてなんとか美ヶ原のふるさと館に到着。観光客もまばら。まして自転車なんて止まっていない。相棒といっしょに2人でずぶ濡れなもんだから,おみやげ屋さんのおばちゃんにびっくりされた。「ふつうの人はこんな日に自転車で来ないよ」って。そう言ってタオルをくれた。いい人だ^^
ちなみに去年もチェーン非装着の車でこのお店に来て,お店のお兄ちゃんにびっくりされながらもいろいろ教えてもらった。ここはいい人ばかりだな^^

メニュー
ピザとか鶏肉の山賊焼きとか,おいしそうなメニューがいっぱい。食べてないけど。ホットミルクはおいしかった^^

ある程度休んだ後で,近くの美ヶ原高原美術館でお買い物。ここもいいところだった。晴れていれば見晴らしがとてもいいのだろうけど,今日は残念。ということで,また扉峠まで戻る。

下りになったらようやく雨が止んでくれて,すごく気持ちがいい。車も来ないし,飛ばし放題。あっという間に着いてしまうんだけど,下ってみると結構がんばって登ったんだな,と実感できる。登るのはいつも辛いけど,なぜか登りたくなる。マラソンだとランナーズ・ハイってことばがあるけど,自転車乗りの経験するクライマーズ・ハイとは少し違う。どう違うかはなかなか言いづらいけど。自転車のヒルクライムではマラソンのように息が切れることは少ない(というか,息が切れたらゲームオーバー)から,結構意識レベルには余裕があって,頭がからっぽになるという感覚はあまりない。その代わりにすぐに脚が疲れる。自転車でのヒルクライムはつまり乳酸との闘いで,いかに乳酸をためずに登るか,たまった乳酸をいかに速く除去するか,そしてここぞという時にいかに乳酸を発生させるかがポイントだ。ここで脚を使うか(乳酸を発生させるか),あるいは脚をためるのか(乳酸を抑えるか),そうした心の中の駆け引きがもたらすナルシスティックな快感を自分はクライマーズ・ハイと呼んでいる。
ちょっと今回は天候が悪すぎたから,駆け引きどころではなかったのが残念だった。でも一応登れたしいいか^^



キャラメルマキアート
よく見ると?? ちょっとウケる^^ こういうところがいいね




「語りえぬことについては,沈黙しなければならない」



圧縮された空間に別の時間が流れる。

私の席からは彼の指は殆ど見えない。
それで良いのかもしれない。

指でピアノを弾くというよりも,ただ思惟を紡いでいるようだ。声や筆ではなく,ピアノを使って。ことばとは別の形式の思惟を。

この種の音楽は密室の中で,スタジオの中で,純化されるべきものだと考えていた。あらゆる偶然的な要素を排して。

しかし今日の演奏を聴いて,このような厳粛さと圧倒的なドラマトゥルギーは,実演の孕む偶然性と向き合わずしては生まれえないものなのかもしれないと感じた。

ことばでどのように表現したら良いか分からないのだが,とにかくすばらしい時間であった。暑い昼間でなければもっと感興に浸れたと思うが,それが残念だ。それにしても先日のル・サージュととても同じ会場とは思えない雰囲気だった。

オール・ブラームス・プログラム
7つの幻想曲 作品116
3つの間奏曲 作品117
6つのピアノ曲 作品118
4つのピアノ曲 作品119
@紀尾井ホール





冒頭の引用からは逸脱するが,これでは何の記録にもなっていないので,アファナシエフについてもう少し言を重ねたい。
彼の魅力はなかなか表現しがたい。それでも演奏そのものに絞って言うなら,自分にとっての彼の魅力のひとつは「一音一音を丁寧に弾くこと」だ。すごく当たり前のことだが,ここまで徹底している演奏家はなかなかいない。彼についてよく言われるテンポの遅さはそのための手段なのだが,その遅さは彼のペダル技術の高さやリズム感によって支えられている部分が大きいのではないかと思う。
時々譜読みしているようなテンポで弾いている箇所もあるが,基本的な技術がしっかりしているから,彼の演奏は決して間延びしたりせず,重くても明晰な響きを保つことができているのだろう。彼はリストのソナタのCDのライナーノーツに「軽さは重みの根である」という孔子の格言を引用していたが,彼の演奏の持つ重みは彼の自由な精神に支えられているのかもしれない。

今回アファナシエフの実演を聴くのは初めてだったのだが,実演でそんな丁寧な演奏がキープできるのかが不安だった。何かのはずみで抑制のタガが外れてしまうのではないかと思ったからだ。しかし前述のとおり,それは全くの杞憂であった。彼はカルテジアンではないのだ。

この間聴いたカツァリスのようなピアニスティックな演奏だと「これは自分とは指の作りが違うから到底かなわない」とすぐに降参できるのだが,アファナシエフの演奏には「もしかしたら自分にも…」と思わせてしまうものがある。実際に彼の演奏からは個人的には非常に大きな影響を受けた。「こんな風な表現方法もあるのか,こういう風に弾いてみたいな」と。だが弾いてみると当然同じようにはいかない。でもまた挑戦したいと思えたリサイタルだった。


今日は千葉市の喫茶店で開かれた近所のピアニストの方のミニ・
コンサートに行ってきた。時折トークをはさみながらのとても気
軽なコンサート。

曲目はフレンチプログラム。
 亜麻色の髪の乙女(ドビュッシー)
 ゴリウォーグのケークウォーク(ドビュッシー)
 月の光(ドビュッシー)
 花火(ドビュッシー)
 自作曲
 ピアノ組曲より(ラモー)
 ジュ・トゥ・ヴ(サティ)
 即興曲第15番ハ短調(プーランク)
 自作曲3曲

ピアニストの方はストラスブールの音楽院を卒業して,
トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団に所属されていた方で,
帰国後はお仕事(音楽関係ではないらしい)のかたわら,こう
して時々友だちのためにミニ・コンサートを開いておられる。
作曲を始めたのも最近だそうで,友だちのために作ってらっし
ゃるそうだ。

喫茶店だからピアノをすごく近くで聞くことができる。
仲間内のコンサートだから軽めの曲が多かったけれど,決して
物足りないことはなくて,とてもいい時間だった。
先週は友だちの知り合いの吹奏楽コンサートに行ったけれど,
それもまたよかった。(吹奏楽はまだちょっと分からないけど)

ほんの数年前までは「有名な演奏家じゃないと」とか「通俗的
な曲はいやだ」とかイキっていたが,そんな自分が恥ずかしく
思える。
そんな来週はアファナシエフのリサイタルですが,それはそれ
でもちろん楽しみに決まってる。