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ひでのブログ

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C'est dommage que je meure avant lire à la plupart de ces CDs.


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ローティに関する本邦初の論文集。他の哲学者・政治学者との関連から,彼の思想的立場を位置づけようと試みた良書である。筆者独特の言い訳や冗長さに一度慣れさえすれば,何かしら得るところがあるであろう。
ローティは物議を醸しやすい思想家であるが,思想的にはラディカルでありながらも,自身の思想に対してある程度距離を置くことができているため,ことさら正しさを言い立てることがない。それゆえにロールズやハーバーマスをはじめ,ポパー,デイヴィッドソン,フーコーからデリダに至るまであらゆる思想を利用することができるし,論争においても過つことがない。今後ローティの著作がより入手しやすくなることを願う。
それにしても気になるのが本書におけるプラトンの扱いである。この本ではプラトン的なもの=政治的な誤り,という論理になっている。筆者にとってのプラトン的なものとは何だろうか。形而上学的なもの一般を指すのか,それともイデア論=想起説的な認識論を指すのか。繰り返しでてくるだけに論理の飛躍が若干気になるところではある。

来月も堅め路線を継続。

Kahneman: Thinking Fast&Slow
ゴンブリッチ「美術の物語」
マルタン「ドゥルーズ」
ニーチェ「喜ばしき知恵」
バルザック「谷間のゆり」
ソーシャルメディア論。
先週のリサイタルがとても良かったので,今日のリサイタルも聴きに行くことにした。今日はびわ湖ホール。

びわ湖ホール

コンサートにはそんなに頻繁には行かないのだが,今回は大好きなプロコフィエフの曲がプログラムに入っていたというのもあるし,何より京都に行きたかったというのもあったので,急いで手配をしたのだった。

実は午前中の京都散策でかなり満足していたのだが,コンサートの2時間はそれと同じくらいに濃密ですばらしい時間だった。ダイナミックレンジの広さと音量に関わらず安定したタッチ,変幻自在なテンポとリズム,そして明確な輪郭。珍しい曲を実演で聴けたという感動ももちろんあるが,手垢にまみれた作品が新たな輝きを手に入れ,ムソルグスキーがどのような意味で斬新であったかが改めて分かった演奏だった。

プログラム
ドビュッシー 前奏曲集第1巻第6曲 雪の上の足跡
プロコフィエフ 風刺 第2番
ショスタコーヴィッチ 24の前奏曲より第14番
プロコフィエフ 風刺 第1番
ドビュッシー 前奏曲集第1巻第10曲 沈める寺
ムソルグスキー 展覧会の絵(音楽劇)

開演前

ピアノの手前にあるのが劇の小道具。

今回のメインはアファナシエフ自身が脚本・主演・ピアノ演奏を務める音楽劇「展覧会の絵」だが,その前の曲が謎である。個性のさまざまな3人の作曲家の5曲がシンメトリーに配列されている。しかし音楽劇において,それらが意味を持ち始めた。劇中の台詞を借りるなら,ムソルグスキーはラヴェルであるばかりでなく,ドビュッシーであり,プロコフィエフであり,ショスタコーヴィッチであり,(恐らくリストでもあり),アファナシエフであるということだ。
音楽劇においてアファナシエフは挑発的なセリフを述べる。「古い城は演奏のたびに建てて直されなければならない」「傑作は時代の変化に対して開かれている」「それぞれが自分の古い城を建てるのだ」「古い城はせいぜいゴミ屋敷にすぎない」
『展覧会の絵』はあまりにも有名な作品であるが,ピアノ・管弦楽を問わずその演奏の大部分はラヴェル化された『展覧会の絵』だ。理知的で,近代的で,計算された狂気。とても美しいが,その『展覧会の絵』は決してムソルグスキーの「それ」ではない。だからこそ多くの個性的なピアニストたちが別の「それ」を見出すべくこれまで挑んできた。ホロヴィッツ,リヒテル,アシュケナージ,ベロフ,プレトニョフ,ポゴレリチ,アンスネスそしてキーシン。そのいずれもが名演とされている。そしてこのアファナシエフである。自身で言っているように彼の『展覧会の絵』もまたムソルグスキーの「それ」ではないが,同時に彼の『展覧会の絵』もまたムソルグスキーの「それ」なのだ。
彼は作曲家=創造者ムソルグスキーの著作権を認めないわけではないし,自らの演奏家=創造者としての絶対的な権利を宣言しているわけでもない。ただチャイコフスキーのライバルの『展覧会の絵』(ムソルグスキー),20世紀フランスの『展覧会の絵』(ラヴェル),彼らとは別に,彼らを経験し,さらにロシア・アヴァンギャルド,世界大戦,コミュニズム,民主主義とテロリズムをくぐり抜けた『展覧会の絵』が権利上存在すべきだと主張しているのだ。そしてかの有名なマルセル・デュシャンの「泉」同様に,彼は芸術家の恣意性ではなく,第3かつ究極的な創造者たる鑑賞者の権利を強調したのだ。
(ドゥルーズ+ガタリの有名なことばを引用すれば,芸術が創造するのはほかでもない「情動」なのだ)
アファナシエフは芸術をただ消費するだけの現代人を皮肉ってこう言う。「それぞれが自分のマクドナルドを持つ」と。まあ,マクドナルドはマクドナルドでいいと思うが。

帰りの電車の都合で聴くことができなかったが,このあと浅田彰氏と対談をしたそうだ。浅田氏は大学の卒論で仮想敵にした方の一人なので,対談を聴いてみたかったが残念だ。

びわ湖
ホールにあるカフェテラスからびわ湖を臨む


アファナシエフのびわ湖リサイタルに託けて京都散策。あるいはその逆か。


下鴨神社


龍安寺


二条城

京都御所


南禅寺

どこもすばらしかったのだけど,南禅寺の庭園は特にすばらしかった。どこも外国人観光客が多かったが,京都御所はびっくり。日の丸を持った人と警察官がたくさんいて,ものものしい雰囲気だと思っていたら,ちょうど天皇陛下がお通りになるところだったのだ。怖くて京都御所はほとんど見ることができなかったのが残念。

旅は決して効率的であればいいというものではないが,今回の旅は非常に効率的だった。それも京都のバスのネットワークが発達しているからだ。東京や大阪といった大都市も発達しているとはいえ,京都ほど便利ではないように思える。さすが日本が世界に誇る観光都市だ。午前中だけで5ヶ所を回ることができた。

以下は実際の旅程。何の参考にもならないけど。

22日(土)
22:55 東京駅発(高速バス)

23日(日)
5:45 京都駅着
6:15 京都駅バス停発(市営バス205)
6:45 下鴨神社前バス停着
6:50-7:10 下鴨神社 20min
7:20-7:45 朝食(ロッテリア出町柳駅前店)
(ちょっと迷子)
8:00 河原町今出川バス停発(市営バス58)
8:25 龍安寺前バス停着
8:30-8:55 龍安寺 25min
(立命館大学前からバスを追いかける)
9:05 桜木町バス停発(市営バス50)
9:25 二条城前バス停
9:30-9:55 二条城
10:00 二条城前駅発(市営地下鉄東西線)
10:05 烏丸御池駅発(市営地下鉄烏丸線乗り換え)
10:15 今出川駅着
10:20-10:30 京都御所 10min
10:35 今出川駅発(市営地下鉄烏丸線)
10:45 烏丸御池駅発(市営地下鉄東西線乗り換え)
10:55 蹴上駅着
11:05-11:45 南禅寺 40min
11:50-12:10 昼食(CAFEキックアップのハンバーグセット)
 ※キックアップは蹴上の英訳ですね。いいお店でした。
12:15 蹴上駅発
12:18 御陵駅着(京阪京津線へ同ホーム乗り換え)
12:28 御陵駅発
12:40 浜大津駅着(京阪石山坂本線乗り換え)
12:45 石場駅着
12:55 びわ湖ホール
(疲れたのでラウンジでお昼寝)
14:00-16:00 アファナシエフ 展覧会の絵
16:05 びわ湖ホール発(臨時バス)
16:15 大津駅着
16:20 大津駅発(JR東海道・山陽本線)
16:30 京都駅着
(ひまだから駅ビルをうろうろして,駅弁を買う)
17:26 京都駅発(駅弁を食べる)
19:43 東京駅着
20:15 帰宅