教養の価値について | ひでのブログ

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おもいうかんだことをいろいろかきます

より多くの人間が,
より少ないコストで,
多くの知識を手に入れることができる世界,
自分の知性を表現することができる世界にあって,
『教養』のもつ意味は失われようとしている

確かに『教養』という語は,
古臭く,役立たずなものを連想させ,
それにどこかエリート主義的な気取った響きがある

いささか反動的ではあるけれども,
それでも『教養』は非常に重要であると思う

『教養』というのは単なる知識とは違う
知識を重視する人の多くが問題にするのは,
「自分は何を知っているか」という点であるが,
『教養』が問うのは,
むしろ「自分は何を知らないか」,
あるいは「自分は何を知りうるか」という点,
知の内容というよりも態度,心の持ちようである
自己の知を対象化することによってこそ,
人は自己の外に出て,
思考の領野を広げることができるのではないだろうか

そんな『教養』は矢継ぎ早に思考を展開するような頭の回転の速さとも違う
みせかけの頭の回転の速さには,
思考そのものよりも感情が関与している部分が多いように思える
回転が速ければより遠くまで行けるのに,
思考を展開させずに次々に単発でことばを繰り出す人が多いし,
そういうことばの切り売りも流行っている

『教養』というのは思考を深化させる知性の働きであり,
それは思考による感情の制御(単なる抑制ではなく)の営みとも言えるかもしれない

中途半端だが,
長くなったので,ここでおしまい