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過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

【よくかんで(30回)20分かけて食べる。】

ちょっと忘れ気味なので再認識の意味でここに記します。
一応「備忘録」ですので。


やっぱりどうしてもたくさん食べたいと思って食事の準備をしてしまいます。
すると、キノコ類を多用し、野菜を切りまくり、わかめをどっさり・・となります。
肉や卵、油などしっかりした食材にビビりながら調理して食べる。
かさだけはかなり多いので、汁物とごはんとで食べるのでお腹はいつも苦しいくらいです。

外食が多いのでその分調整をしなければ・・という焦りもあります。
するとキノコ三昧に陥りやすい。

もうちょっと当たり前の材料で、当たり前の量の食事ができるようになりたいです。
当たり前の量というのはカロリーでなく、あくまで「量」のことです。
それがよくわからないというか、一般的な量では視覚的に満足できないのです。
この辺もゆっくり食べればたぶんわりと解決していきそうな気がします。

というのも、たとえば他人(店とか母とか)が用意した食事で、「これっぽっち?」と思っても
ゆっくり食べたら「あら、満足だわ」みたいなことがちょくちょくあるので。

自分で準備するとかさばかりが多く、いつもお腹が苦しいです。
普通の一人前の量を学習しなきゃな、と思います。

タニタ定食の写真とかを参考にしようかなと思います。
ご飯食べて、ちょっとして、また落ち込みます。
食べ過ぎたかな。
ふとったかな。

どうしても気にしてしまいます。

それでも今現在は仕事もなくのんびりくらしているので
1時間2時間たつうちに落ち着いて冷静になれます。

これが毎日外に出て社会生活を送るとなると
この少しの気持ちの揺れに我慢できなくなるかもしれません。
ものごとを長い目で見ることができなくなるかもしれません。
目の前の劣等感に飲み込まれるかもしれません。
それが本当に不安です。

そうやって追い込まれると何をするかわからないからです。
吐かないことは続いていますが、まだまだ基盤を確立していません。

お願いだから乗り越えてくれ自分。
祈るような気持ちです。
昨晩は外食でした。
ファミレスのハンバーグプレート。
ハンバーグとほうれんそうと目玉焼きがサフランライスに添えてあるプレートでした。
カロリーにして約1000でした。
ついつい気にしてしまいます。

他のひとがフライドポテトを注文していて、やすみやすみ食べていました。
最初はとても気になりました。
だんだんとその日の打ち合わせの内容に熱中して、ポテトの存在を忘れていきました。
お腹が満足しているせいか目に入ってもあまり食べたたいと思いませんでした。

日頃の食生活のおかげでしょうか。

しかしそうすんなりことが済むわけもなく。
過食欲求はありました。
一時は満足した気分ですが、またじわじわともっと食べたいなあという気持ちがわいてきました。
今日は運動もしていないのにいいのだろうか・・という不安。
帰り道は食べるかどうすか、食べるとしたら何を食べるのか、そればかり。
帰って、おかずをつまんでビールを飲みました。
他の人たちは家に帰ってそのまま風呂にでも入って寝たんだろうな。と思いながら。

これくらいの気持ちってふつうなのかな。でも本当はお腹いっぱいのはずだし。
わかりません。

嘔吐が止まって17日目でこんな感じでした。
そろそろ仕事を探しています。
公共職業訓練で合うのものがあればそれを受講しながら、もっと病気を治していこうと考えていましたがそう都合よくもいかず。

考えたすえ、パートで探すことにしました。
もし、このまま嘔吐しないことを続けられれば、パートでもなんとか暮らしていける計算になります。

時間給で働くパートは以前にもしたことがありますが、精神的負担が正社員で働くよりもはるかに軽いです。
時間給が付く限りは残業も苦ではありません。
やるからには真剣にやりますが、やはり責任の重さが違ってきます。
正社員で会社と運命共同体のような立場になること自体が私にはかなり苦痛です。
たとえ定時で帰れてもそれは同じ。

収入の面でとても悩みました。
月収がぐんと少なくなるのはもちろん、ボーナスもありません。

しかし、過食嘔吐をするとどれだけ収入があってもいずれ経済的にひっぱくします。
お金があるだけ食べて吐くからです。
これまで、月に5~6万くらいは食費に使っていたと思います。
単純に考えて、もし過食嘔吐が減れば、月収がマイナス5万になってもなんとかやっていけるということになります。

多少貧乏でも過食嘔吐がない生活。
当たり前の収入があっても、過食嘔吐で時間とお金を浪費する生活。

この2つを天秤にかけて、前者を選んだというわけです。

パートだからと言って自信があるわけではありません。やはり不安です。
でも、生きていかなければいけないし、それには仕事が絶対に必要です。
タイミングや内容を落ち着いて考えながら、よりベターな選択ができればいいなと思います。
摂食障害の関係のブログをもちろんたくさん見ます。
刺激を受けます。
書いているからには人の反応があるとうれしいし、励みになります。


7年くらい前かな、そのときも克服目指して頑張っており、ブログもやってました。
ブログを始めた当初は気合が入っており、けっこういい調子で頑張っていました。
すると「私も頑張りたい」という女性がコメントをしてくれて、彼女もブログを開設しました。
そのうち私と彼女の関係から、次々ブログのつながりが生まれました。

私はブログでも人見知りですから、こんな人付き合いうまく続くかな、と少し心配でした。
励みになることもあるけれど、落ちたら負けのような気がしてきたのです。

そのうち、私は挫折しました。
一方私に影響を受けてブログを始めたその女性をはじめ何人かはどんどんよくなっていきました。

それだけでも当時の私は自分が恥ずかしく、辛く、ますますヤケをおこして泥沼状態でした。
しかし、もっとイラついたのはついに克服した彼女がが、今度は摂食障害現役のブロガーたちにアドバイスをしはじめたときです。
ブログで自分の治療論を展開したり、メールで受けた相談に回答していたり。
その内容がどうも気に入らないのです。

「私は経験者だからみなさんの気持ちがわかります。教えてあげます。」
そういうスタンスが納得いかない。
摂食障害にもいろいろあるのに、ちょっと経験があるからと言って先輩きどりな彼女の態度が理解できなかったのです。
彼女はわりと調子よく治った方だし、日記で本人が書いている限りでは私生活は幸せな結婚で収入も安定している模様。
そんな人がクソみたいな生活を送っている私たちの気持ちなんてわかるはずない、と心の中で強く反発しました。

その時の私もねたみで半分どうかしていたのでしょう。
彼女が優越感に色めきだっているようにしか見えませんでした。
日常生活のささやかな楽しみとかのいかにも女性的なエピソードを同じブログに上げていることなんかも、私にとっては自慢としか受け取れず、ほとんど憎む勢いでした。

彼女を中心にひろがっているつながりの中で、彼女はカリスマ的な存在になりつつありました。
異様にポジティブなムードが蔓延しており、イラつきました。
前に進む人たちばかりで盛り上がって、私のようなうまく進めない人間は置き去りにしているように思えたからです。
今冷静に考えてもやっぱり腹が立ちます。



そのときに、ひとくちに「摂食障害」と言っても気持ちを理解しあうことができるとは限らないのだな、ということを思い知りました。

自分が勝手にネットのつながりに何かを期待してしまったというだけのことだし、それで裏切られたと思っていじけて過食嘔吐の泥沼に逃げ込んだのも自分の勝手。
その時の私にはいろんなことを線引きしたり整理したりするちからがなかったのです。
一番いいのは、そういう状況になったらブログをすっぱりやめることだったんでしょう。
でも気になってやめられませんでした。


今もまた懲りずにネットに何かのつながりを期待してブログを始めました。
今度はうまくネットと付き合っていきたいです。

人に刺激をもらっても、人に振り回されない。
人の優しさやつながりはありがたいし、
自分も他人の気持ちを気遣う事を忘れてはいけない。
同時に、自分は自分の道をしっかりと歩くこと。

実生活の人間関係と同じです。

昔の失敗から学んだことです。