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過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

入院中のことを思い出しました。

もう10年近く前のことになりますが、精神科に入院したことがあります。
任意入院です。

最初は1ヶ月でした。
その頃は今よりもずっと痩せることにこだわっていました。
病院食をかなり慎重に食べていたと思います。
1600キロカロリー設定でも怖かった。
ときどきご飯を半分残して満足したり、全部食べてしまって後悔したりでした。
タバコを吸っていました。
日中は階段を上り下りしたり、ラジオ体操したりしていました。

過食はしませんでした。

この時、病院という環境だからそうできるのだと思っていました。
3食以外に食べ物を得にくい状況、規則正しい生活リズム(不眠で悩んだけど)、そして常に弱者の立場でいられる、そんな環境です。

今思うに、それプラス、やはり食べていたから衝動が減ったという事があったのではないかとふと気づきました。
恐る恐るではあれ、3回食べて吐いていませんでした。

あのころは、「環境が整っているから精神的に落ち着いていられるからだ・・」とばかり思っていたけど、そればかりではない、「食べている」から衝動が落ち着いたに違いない。

過食衝動の原因についてそういう認識があれば、もう少し病気への対処が変わっていたのかもしれません。

今考えるとおかしな話ですが、誰もそんなことは言わなかった。
医者にも看護師にも、「環境もいいけど、何より食べているから衝動が減ったんだよ」などと説明する人間は一人もいなかった。
「ちゃんと食べられて良かった」とは言ってくれたけど。
「心が落ち着いているとこれくらいできるんだね、家に戻っていろんな問題の中でどれだけ続けられるかですね」
やはり中心におかれているのは「心の問題」でした。
一生懸命親身になってくれたけど、残念ながらそれでは過食衝動の解決にはならなかった。

病院の方針なのか、単に摂食障害についての知識の問題なのかわかりませんが。

そのころの「環境が良いから、心が落ち着いているから」と思い込んでいる自分に「食べてるからだよ!」と言ってやりたい気がします。

その後、家に戻って少しは食事をとり続けました。
でもそれもカロリー計算にやっきになった食事で、とうてい楽しく食べるのとは程遠いギスギスした日々。
その内ダメになりました。

その後1年の間にもう2回入院を繰り返しましたが、入院にも希望がもてなくなっていったので結局は何の成果もありませんでした。

もしも、入院するたびに「あ、やっぱり食べたら衝動が緩和する」ということを自覚できていたら・・とつい考えてしまいます。


ちなみに昨年、痔の手術で10日ほど入院した時もほとんど病院食だけで過食はしませんでした。
これもそういうことだったのかなと今は思います。
この時もせっかくの入院生活なので過食克服にも利用しようと思っていました。
けどやはり「吐かないから衝動が減る」という認識が薄かったせいか、退院後また挫折しました。
これが「吐かなければ衝動が減ることを実感するチャンスだ」という意識で過ごせていたら随分違ったと思います。


克服しようとどれだけ思っても、正しい認識の下で進んでいかないと結局路頭に迷ってしまいます。
今回は、私の認識は終始一貫しておりぶれていません。
「吐かなければ衝動はなくなる」これ一本。
この道しるべがあるので、不安になっても道を踏み外さずに歩んでこられたのだと思います。

そしてそれを私にはっきりと言い渡したのが医者だったという事にも大きな意味があります。
もともと思い込みや勘違いで迷宮入りしているのだから、自分の判断には自信がもてない状態です。
自分でそうだと言い聞かせるよりも、専門家の指摘・指示はかなり支えになります。


こんなことを思た日でした。





過食嘔吐を止めて、2ヶ月がたちました。

太っている悩みはまだ大きいですが、過食衝動だけについていえば良好です。
だけど当然ながらまだ油断は禁物だな、と我ながら思います。
例えば飲み食いしすぎてお腹がパンパンの時とか、「吐けば楽になる」ってすぐに思いついてしまう。
食べ過ぎた分だけ吐き出したら・・なんてこともつい思いついてしまいます。
いつか、この「ちょっとだけ」と安易に思いついてしまう習慣をなくせたら、完治と言ってもいいのかなと考えています。



最近、大事なパートナーにこの病気のことを打ち明けるかどうか悩んでいます。
治っているのだから言わないでおこうと思ったこともありました。

けれど、最近この病気も自分の一部であり、できればこうなってしまった自分のことも理解してもらいたいという気持ちが出てきました。
この病気のせいで、これまで必要なお金も貯めることができなかったし、親兄弟にも借金があります。
この病気になってしまうくらい、気持ちの面で弱いところもあるし、体型の劣等感も大きい。
知っておいてもらう事で自分が少し楽になるのではないかと思うのです。

しかし一方では、知ってもらうことで甘えを許してもらおうとしているのではないか、とも思います。

私の相手は良い意味でそんなに甘くはないので大丈夫かなとは思うのですが。

こんなことを悩むのは時期が早いかもしれません。
打ち明けるにしても、もっとしっかり克服して、仕事も再開できてからにしようと思っています。
打ち明けること自体、相手にとっては多かれ少なかれ負荷をかけられることになります。
もうすこし努力してみて、多少なりとも自立してからでないとフェアではない気がします。
私の場合は。





明日で終了ですが、2週間ほどの短期バイトをしています。

今日その職場で怒られました。
良かれと思ってやったことがまずい事だったようで。

知らずにやったことなので、そんなに悪くないと言えば悪くないので、そのあと気を付ければいい話でした。
だけど私は自己嫌悪に陥ってしまった。
そのあと作業しながら、涙が止まらなくなってしまいました。 

でしゃばったマネをしたからだ、とか。
傷ついて涙が出るのは高慢だからだ、とか。

そもそもこの程度怒られたくらいで恐怖感を感じていることが情けなかったです。
こんなことではどんな仕事も続かない。

怖い、と思うのです。
自分の人格を否定されたみたいに思うのです。
昔から、ミスを注意されると、それが人格否定をしているかのように受け取ってしまうところがあります。


父がそういう人間だからこんな癖がついたのだと思っています。
何かの失態を注意するときに、その人間の生きる価値すらない、というような言葉まで付け加えて吐き捨てるように言う人なので。

ミスをみつけられて怒られることが怖くてたまりません。
怒られるのが怖くて、失敗を全部ごまかしてしまおうとする自分がいます。
ミスを怒られることと人格否定とが一緒になっているのです。
こんなささやかなバイトでさえ、そういった私のずるさをしばしば感じる。
あ、今の私ズルいな、って。

治すようにはしているのですが、油断しているときに怒られると今日みたいになってしまいます。

やっぱり謙虚さが足りないのでしょう。


まちがって昨日の記事を削除してしまいました。
コメントしてくれた方、スイマセン・・。
返事は書いていたのですが気づかれたかな。



ちょっと仕事恐怖症気味(おおげさな)です。
面接に行くたびになんだか怖くなって、仕事に戻る自信がなくなっていきます。

今日もまた、ここはナシって思いました。

またいちから、探すしかない。
待っていても何も始まらない。



昔から、治したいと思っていろんな本やサイトやらを見つけては読んできました。

何か参考にできないか、共感して励まされないか、そんな思いで読むのです。

そんななかで、どうしても受け入れられなかったのが、「自分を好きになろう」という考え方です。
一時期、自分もそれをやってみようとしたことがあります。
だけど、性に合わないというか、どうしてもだめで、逆にストレスに感じました。
自分を好きになろう、と思うだけで寒々しい心地がするのです。

それで、自分は自分を好きだと思えない限り一生病気は治らないのかな、と失望したものです。
「自分は嫌いだけど病気は治った」という人はいないものかと探し続けました。

もっとひどいときは、ポジティブな言葉全般がとにかく嫌でした。

今思えば、言葉のニュアンスだけに過剰に反応しているところもあったと思います。
今は、これでも昔よりかは大人になったので、特定の言葉を無条件に拒むのはやめようと思うようになりました。
「自分を好きになる」ことだって、自分には違和感があるけど、もしもそれができれば素晴らしいことだとは思います。

しかし今でも「自分を好きになる」ことと病気を治すことは別問題だと思っています。
(自分を好きになれたら、治療も進みやすくなるかも、とは思います。)

もしかしたら「自分を好きになる」ということの意味の受け取り方の違いかもしれません。

私は、自分が自分として生きていくことを、どちらかというと仕方なく受け入れた感じです。
最近は徐々に積極的に受け入れるようになってきましたが、当初はそうでした。
ずっと消えてしまいたいとしか思えなかったけど、あるときを境に、自分が生まれたことが取り消されることは絶対にあり得ない、とはっきり自覚しました(当たり前だけど)。
自分のことは嫌いだけど、私は私として生きていくしかない。

そう思ってから、ものすごくゆっくりですが徐々に考え方が変わっていきました。

どうせ生きるしかないのなら、できるかぎり幸せになりたい。
そのためには嫌いな自分を叱咤激励しながら、生きやすい道を模索するしかない。
生きやすくするためには、前向きに考えることも(私にとっては)必要。
人と良い関係を築くことも必要。
そして自分自身がより良い人間になることはもっとも必要。

私のこれが、世間でいうところの(?)「自分を好きになる」に相当する感覚なんでしょうか?
分かりませんけど、自分を好きか嫌いかで言ったら、今でもけっこう嫌いです。
あまりに自分が恥ずかしくて、生まれてきたくなかったと思うことが未だにあります。
必ず立ち直りますが。
「自分を好き」と思えないだけで実際は自分が一番大事なんだけど、ともかく自分に好意を抱けないという感じです。


でも、それでも病気は治せる。

と、今はハッキリ言えます。
昔の自分に言ってやりたいです。

だって、自分が嫌いなうえに、病気も治せないって、あまりに辛いから。
逆に、病気持っているうえに、嫌いな自分を好きになれって、それもけっこう辛いから。


いつか好きになれる日が来ればいいな、とは思いますが。