最近、食欲についてあまり悩まなくなってきました。
食べる量は活動量に対して少し多めだと自覚しています。
一日10時間以上寝てしまうし、家にいる間は料理と茶碗洗い以外はほとんどネットとかテレビとか。
外出は4~5時間。
生活時間帯も不規則です。
こんな生活強度の中でもしっかり食べてしまいます。
仕事を辞めて3、4キロくらいは太りました。
これはこれで悩みなのですが、食欲そのものは落ち着いています。
一定量食べたら一応は満足を覚えるからです。
食事もそうですが、たまに間食でお菓子類を食べる時もそう。
以前であれば一口食べたら最後、絶対に止まりませんでした。
しかし最近は、たとえばクッキーにしても、ひとつ食べればそれなりの満足を覚えます。
2つ食べたいときは食べて、またそれなりの満足。
暴走することはありません。
「終わり」があるのです。
「終われる」と思うとこれまで暴走のスイッチになっていた食べ物も怖くなくなります。
安心して食べられるのでより美味しくより満足になります。
少々食べ過ぎることがあっても、そんなこともある、と思えます。
今の量のままでよければ私はもう食欲の暴走が怖くなくなりました。
自由に食べていてもどこかで満足のラインがほぼ必ずあるので、自分の欲求にかなり素直に食べることができています。
多めだとは思っているのですが、今より控えようとしたら精神的に辛くなると思います。
葛藤や我慢がかなり増えるでしょう。
だから今のところは太ってしまっても、この量が落ち着く量なのかなと思って減らさないでいます。
とはいっても、やっぱりもう少しシェイプアップしたい。
食べる量はこのままで痩せるためには生活強度を上げるしかない気がします。
仕事をして規則正しい生活をする。
そうすればこのままの量でも今よりすっきりするんじゃないかな、って期待してしまいます。
いずれにしろ、一年間は様子見と決めたので何事も落ち着いて取り組みたいと思います。
そういった矢先になんですが、なんだかやる気が低下しています。
仕事に就ける気がしないというか・・。
風邪で体がだるいのもあります。
そろそろ生理になるのかもしれません。
酔って、自主的に吐いてしまいました。
苦しいからちょっとだして楽になろうというくらいの軽い気持ち。
食べたことをチャラにしようという下心はなかったのです。
実際少し吐くと息が楽になりました。
しかし、理由はどうあれ、吐こうと思ったらすぐに上手に吐けてしまうのが良くないように思います。
摂食障害という病気を持っているからです。
血迷ってまた嘔吐で調節しようとし始めるかもしれないから。
こんど飲みがあったら、どんなに苦しくても吐かないようにしようと思いました。
でも、そんなに深刻に考えないようにしています。
苦しくて吐くこと自体は普通の人にもあること。
ただそれが自分にとっての危険要素であることは忘れてはいけないと思います。
苦しいからちょっとだして楽になろうというくらいの軽い気持ち。
食べたことをチャラにしようという下心はなかったのです。
実際少し吐くと息が楽になりました。
しかし、理由はどうあれ、吐こうと思ったらすぐに上手に吐けてしまうのが良くないように思います。
摂食障害という病気を持っているからです。
血迷ってまた嘔吐で調節しようとし始めるかもしれないから。
こんど飲みがあったら、どんなに苦しくても吐かないようにしようと思いました。
でも、そんなに深刻に考えないようにしています。
苦しくて吐くこと自体は普通の人にもあること。
ただそれが自分にとっての危険要素であることは忘れてはいけないと思います。
メンタルの病気にありがちな家族問題。
ブログめぐりをしていると多くの人がさまざまな問題を抱えているのだな、と気づかされます。
私もいろいろとありました。
強烈ないじめによる兄妹の不登校や家庭内暴力。
父親の理解のなさ。
母親の神経症。
自分の病気や性格をこれらのせいにして自分の運命を呪った時期も長くありました。
父について、私はずっと憎んでいました。
人間的に軽蔑していました。
父親としては今でも尊敬できませんし、どちらかというと嫌いです。
自分に理解のできない行動をとるこどもを否定して、自分を変えようとしない人です。
自分だけが正しいと言い張る人です。
自分と向き合う力のない、とても弱い人間なのだと思います。
私たちこどもは、すぐ人間以下のようにけなされることにおびえていました。
何か失敗したときは何より父親の反応が怖いのです。
ときどき気持ちをぶつけてみても、父親として受け止めて葛藤することに耐えられず酒に逃げて暴れ、すべてを放棄しました。
憎いし軽蔑しているのに、父親の反応が怖い。
私たち兄弟は安心感なんてひとかけらも持てずに育ってきたと思います。
こういうことって、社会生活に影響するんですよね。
残念ながら、染みついたものはなかなか変えられない。
大人になってきて、だんだんとそういう自分の心のなりたちが分かってきます。
自分で整理して折り合いをつけて、足りないものを補って生きていかねばならないことに気づいてきました。
父に対しては、父親として期待することを辞めるように努めました。
頭で分かっていても、心の中の「父親」の理想像が消えないのでなかなかうまくいきませんでした。
何度も失敗しては「諦めよう諦めよう」と言い聞かせてきました。
父は養ってくれるけど、精神的に父親ではない。
ひたすら機嫌よくいてくれることが私たち自身が穏やかに過ごすために一番重要なこと。
一見ゆがんでいますが、自分と向き合う事ができない父に対して何かを訴えても無駄な事なのです。
お互いが傷ついてますます憎しみを深めるだけです。
いつまでも父親への憎しみに捕らわれていると自分自身が成長しません。
無駄な事はしないのが一番。
かなり苦労しましたが最近ようやく、長い間顕著だった憎しみの感情が薄れてきました。
時々昔の出来事を思い出して恨みを覚えたりすることはあります。
日々の父の言動に嫌悪感を抱くこともしょっちゅうです。
それにいまだに父の反応が恐ろしいです。
ただ、昔より感情が底上げされたというか、こだわりが薄れた感じです。
父として尊敬の念はありませんが、長年養ってもらったという事実に対しては何らかの形で報いなければいけないような気持ちはあります。
そろそろいい年にもなりますし。
切っても切れない相手に対して憎しみしか抱けないよりも、部分的には認められるようになって自分自身が楽になりました。
しかし母は夫婦の関係ですからなかなか私たちと同じようにはいかないようです。
ブログめぐりをしていると多くの人がさまざまな問題を抱えているのだな、と気づかされます。
私もいろいろとありました。
強烈ないじめによる兄妹の不登校や家庭内暴力。
父親の理解のなさ。
母親の神経症。
自分の病気や性格をこれらのせいにして自分の運命を呪った時期も長くありました。
父について、私はずっと憎んでいました。
人間的に軽蔑していました。
父親としては今でも尊敬できませんし、どちらかというと嫌いです。
自分に理解のできない行動をとるこどもを否定して、自分を変えようとしない人です。
自分だけが正しいと言い張る人です。
自分と向き合う力のない、とても弱い人間なのだと思います。
私たちこどもは、すぐ人間以下のようにけなされることにおびえていました。
何か失敗したときは何より父親の反応が怖いのです。
ときどき気持ちをぶつけてみても、父親として受け止めて葛藤することに耐えられず酒に逃げて暴れ、すべてを放棄しました。
憎いし軽蔑しているのに、父親の反応が怖い。
私たち兄弟は安心感なんてひとかけらも持てずに育ってきたと思います。
こういうことって、社会生活に影響するんですよね。
残念ながら、染みついたものはなかなか変えられない。
大人になってきて、だんだんとそういう自分の心のなりたちが分かってきます。
自分で整理して折り合いをつけて、足りないものを補って生きていかねばならないことに気づいてきました。
父に対しては、父親として期待することを辞めるように努めました。
頭で分かっていても、心の中の「父親」の理想像が消えないのでなかなかうまくいきませんでした。
何度も失敗しては「諦めよう諦めよう」と言い聞かせてきました。
父は養ってくれるけど、精神的に父親ではない。
ひたすら機嫌よくいてくれることが私たち自身が穏やかに過ごすために一番重要なこと。
一見ゆがんでいますが、自分と向き合う事ができない父に対して何かを訴えても無駄な事なのです。
お互いが傷ついてますます憎しみを深めるだけです。
いつまでも父親への憎しみに捕らわれていると自分自身が成長しません。
無駄な事はしないのが一番。
かなり苦労しましたが最近ようやく、長い間顕著だった憎しみの感情が薄れてきました。
時々昔の出来事を思い出して恨みを覚えたりすることはあります。
日々の父の言動に嫌悪感を抱くこともしょっちゅうです。
それにいまだに父の反応が恐ろしいです。
ただ、昔より感情が底上げされたというか、こだわりが薄れた感じです。
父として尊敬の念はありませんが、長年養ってもらったという事実に対しては何らかの形で報いなければいけないような気持ちはあります。
そろそろいい年にもなりますし。
切っても切れない相手に対して憎しみしか抱けないよりも、部分的には認められるようになって自分自身が楽になりました。
しかし母は夫婦の関係ですからなかなか私たちと同じようにはいかないようです。
パートナーに知られてしまいました。
予期せぬ展開。
一緒に大きな書店へ行き各々見たい本を立ち読みしました。
その時前から気になっていた摂食障害の本を見つけて、読んでいたらどうしても買いたくなりこっそりレジに並んで購入しました。
それがちょっとしたミスで見つかってしまい打ち明けることになった次第です。
実は以前、私の部屋に来た時に、昔買った摂食障害の本を見つけられて、「若いときそうだったんだ」とごまかしたことがありました。
まだ治っていなかったんだけど、仕事を辞めてここ2ヶ月順調だよ。
と伝えました。
ちょっと驚かせてしまったみたいですが、彼なりに受け止めてくれました。
それほど心配していたわけではありませんでしたが、予想通りの態度でありがたかったです。
そしてやっぱりここまで回復している時期だから私もあまり動揺することなくいられるのだと思います。
知られてしまった今となっては、さらっ と打ち明ける羽目になって良かったのかなと思います。
この病気について、もっと深く、いろいろと理解してほしい気持ちはあるのですが、とりあえずはこのままで過ごしていこうと思います。
予期せぬ展開。
一緒に大きな書店へ行き各々見たい本を立ち読みしました。
その時前から気になっていた摂食障害の本を見つけて、読んでいたらどうしても買いたくなりこっそりレジに並んで購入しました。
それがちょっとしたミスで見つかってしまい打ち明けることになった次第です。
実は以前、私の部屋に来た時に、昔買った摂食障害の本を見つけられて、「若いときそうだったんだ」とごまかしたことがありました。
まだ治っていなかったんだけど、仕事を辞めてここ2ヶ月順調だよ。
と伝えました。
ちょっと驚かせてしまったみたいですが、彼なりに受け止めてくれました。
それほど心配していたわけではありませんでしたが、予想通りの態度でありがたかったです。
そしてやっぱりここまで回復している時期だから私もあまり動揺することなくいられるのだと思います。
知られてしまった今となっては、さらっ と打ち明ける羽目になって良かったのかなと思います。
この病気について、もっと深く、いろいろと理解してほしい気持ちはあるのですが、とりあえずはこのままで過ごしていこうと思います。
先日の記事で、
>そのころの「環境が良いから、心が落ち着いているから」と思い込んでいる自分に
>「食べてるからだよ!」と言ってやりたい気がします。
と書きましたが、あの頃の自分にそう言ってやったところで聞く耳を貸すかと言えばそれは怪しいなと考え直しました。
今よりずっとずっと痩せることにこだわっていたし、今よりずっと自分のことも分かっていなかったし、病気の知識も浅かったし。
今では自分なりに折り合いをつけられるようになってきた様々な問題にあの頃はまだ振り回されていたし。
それを考えるとやっぱり単純に「食べれば治る」とばかりは言えないなあ、とまた思うわけです。
15年間、苦しんで七転八倒して、上がったり下がったりして、ようやくこの年齢になって、少しは成長してきました。
そんな今の私だから「食べなきゃ、吐くのを止めなきゃ治らない」と思える余地ができたと思うのです。
追記:それでも体の飢餓状態から来る衝動は食べることが絶対に有効だという気持ちは変わりません。ただそのことに取り組めるには、正しい知識やある程度の心の落ち着きが必要になってくるのだと思いました。
昨日買った『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』(水島広子著)を読みながら考えました。
この本に書かれている治療の取り組みを読んでいると、自分の人生を振り返っているような気持ちになりました。
水島さんが治療で患者さんに促している考え方、自分との向き合い方などは、私が今まで自分に対してやってきたことと重なるからです。
病気のとらえ方を考え直すこと、病気のメカニズムを理解すること。
過食嘔吐とという行動が起こる要因を解明して向き合うこと。
それはつまり、自分自身を正確に知ることであり、ストレスを把握して対処法を学ぶことであったりします。
自分の存在を認めて、自己否定のサイクルを抜け出していくこと。
これは、摂食障害でなくても、多くの人が自分の人生を悩み乗り越えて行く過程と同じだと思います。
病気がある場合は、その病気を通して自分を見つめなおすことになる。
この本の「療法」と同じようなことを「病気を治すため」とは意図せずに、私は徐々に自分に対して行ってきており、それで15年たった今、ようやく過食嘔吐を手放しつつある。
私のようにある程度年齢を重ねてある程度成長したことで克服の兆しをつかめる人はけっこういるのではないかと想像します。
心の整理ができることと、過食が緩和することは大きく関係していると思うから。
(一人の力で成長したわけではないのですけど。)
これが、たとえば水島さんの治療を受けるともっと短い期間でここまでこぎつけることができるという違いなのかなと思いました。
そうなるとやはり正しい治療を早急に受けたかったな、という悔しさが湧いてきます。
しかしもっと引っかかったのは、病気を一人きりで抱えたまま死んでいく人がたくさんいるのではないか、という恐ろしい疑念が湧いたことです。
生活の仕方によっては、打ち明けない限り過食を隠し通す事は可能だと思います。
ひとりきりで食べて吐いて、見た目にも病的には見えないからです。
家族と住んでいなかったり、病院に行けなかったり、誰にどう打ち明けたらいいのか分からなかったりする場合もあるのではないかと思ったのです。
誰にも知られることもなく、精根尽き果て、お金も尽き果て、ただただ年齢だけを重ねていく人生。
ある日自ら命を絶っても、周りがその理由に気づくことはないのではないか。
そう想像して悲しくなりました。
水島さんの本を読む限り、過食症は治せるはずの病気です。
治せるのに、ただ治療法や正しい知識を得られないばかりにこじらせてしまい、その結末が自ら死を選ぶということだとしたらあまりに悲しすぎます。
こんな情報化社会の現代にして。
私はこの本を読んでいて、摂食障害は体の病気でいうところの「風邪」みたいなものだと思いました。
もちろん病気が軽いといか、それほど大変じゃないとか言う意味ではなくて、誰もがかかりうる病気で適切な治療を施せば必ず治せる、という意味での「風邪」です。
ただし、適切な治療をせずにこじらせてしまえば肺炎になったりして死に至る恐れもある。
けれどどう手を施しても助からない難病では決してない。
そんなイメージを持ちました。
だからこそ余計に10年、20年と長引かせている人たちが私を含め大勢いるということが悔しく思われます。
>そのころの「環境が良いから、心が落ち着いているから」と思い込んでいる自分に
>「食べてるからだよ!」と言ってやりたい気がします。
と書きましたが、あの頃の自分にそう言ってやったところで聞く耳を貸すかと言えばそれは怪しいなと考え直しました。
今よりずっとずっと痩せることにこだわっていたし、今よりずっと自分のことも分かっていなかったし、病気の知識も浅かったし。
今では自分なりに折り合いをつけられるようになってきた様々な問題にあの頃はまだ振り回されていたし。
それを考えるとやっぱり単純に「食べれば治る」とばかりは言えないなあ、とまた思うわけです。
15年間、苦しんで七転八倒して、上がったり下がったりして、ようやくこの年齢になって、少しは成長してきました。
そんな今の私だから「食べなきゃ、吐くのを止めなきゃ治らない」と思える余地ができたと思うのです。
追記:それでも体の飢餓状態から来る衝動は食べることが絶対に有効だという気持ちは変わりません。ただそのことに取り組めるには、正しい知識やある程度の心の落ち着きが必要になってくるのだと思いました。
昨日買った『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』(水島広子著)を読みながら考えました。
この本に書かれている治療の取り組みを読んでいると、自分の人生を振り返っているような気持ちになりました。
水島さんが治療で患者さんに促している考え方、自分との向き合い方などは、私が今まで自分に対してやってきたことと重なるからです。
病気のとらえ方を考え直すこと、病気のメカニズムを理解すること。
過食嘔吐とという行動が起こる要因を解明して向き合うこと。
それはつまり、自分自身を正確に知ることであり、ストレスを把握して対処法を学ぶことであったりします。
自分の存在を認めて、自己否定のサイクルを抜け出していくこと。
これは、摂食障害でなくても、多くの人が自分の人生を悩み乗り越えて行く過程と同じだと思います。
病気がある場合は、その病気を通して自分を見つめなおすことになる。
この本の「療法」と同じようなことを「病気を治すため」とは意図せずに、私は徐々に自分に対して行ってきており、それで15年たった今、ようやく過食嘔吐を手放しつつある。
私のようにある程度年齢を重ねてある程度成長したことで克服の兆しをつかめる人はけっこういるのではないかと想像します。
心の整理ができることと、過食が緩和することは大きく関係していると思うから。
(一人の力で成長したわけではないのですけど。)
これが、たとえば水島さんの治療を受けるともっと短い期間でここまでこぎつけることができるという違いなのかなと思いました。
そうなるとやはり正しい治療を早急に受けたかったな、という悔しさが湧いてきます。
しかしもっと引っかかったのは、病気を一人きりで抱えたまま死んでいく人がたくさんいるのではないか、という恐ろしい疑念が湧いたことです。
生活の仕方によっては、打ち明けない限り過食を隠し通す事は可能だと思います。
ひとりきりで食べて吐いて、見た目にも病的には見えないからです。
家族と住んでいなかったり、病院に行けなかったり、誰にどう打ち明けたらいいのか分からなかったりする場合もあるのではないかと思ったのです。
誰にも知られることもなく、精根尽き果て、お金も尽き果て、ただただ年齢だけを重ねていく人生。
ある日自ら命を絶っても、周りがその理由に気づくことはないのではないか。
そう想像して悲しくなりました。
水島さんの本を読む限り、過食症は治せるはずの病気です。
治せるのに、ただ治療法や正しい知識を得られないばかりにこじらせてしまい、その結末が自ら死を選ぶということだとしたらあまりに悲しすぎます。
こんな情報化社会の現代にして。
私はこの本を読んでいて、摂食障害は体の病気でいうところの「風邪」みたいなものだと思いました。
もちろん病気が軽いといか、それほど大変じゃないとか言う意味ではなくて、誰もがかかりうる病気で適切な治療を施せば必ず治せる、という意味での「風邪」です。
ただし、適切な治療をせずにこじらせてしまえば肺炎になったりして死に至る恐れもある。
けれどどう手を施しても助からない難病では決してない。
そんなイメージを持ちました。
だからこそ余計に10年、20年と長引かせている人たちが私を含め大勢いるということが悔しく思われます。