皆様お疲れ様です。
「サバイバーズギルト」という言葉があります。
ご存知でしょうか?
一般的には事故や災害から生き残った人が
罪悪感に苛まれる事なんですけど
はっきり言って私達も
この「サバイバーズギルト」なんじゃないかと
思うんです。
確かに
事故や災害から生き残ったというわけではない
でも、本来なら死ぬはずではなかった子供達。
順番が逆だろ!っていう時点で
何かしらの罪悪感は生まれていて
結局それに苦しんでいる部分は
あると思うんですよね。
そもそも人の死に
納得のいくものなんてあるわけが無いと
私は思っています。
それがまさか自分の子供だなんて
もっと納得なんか出来るわけもなく
子供を想う後悔や苦しみが
人の数だけ存在すると思うんです。
あの時こうしていれば良かった
なぜあの時気付かなかったのか
丈夫な身体にしてあげたかった
それはもう数え切れないと思います。
そして自分は生きている
何故なんだろう?
そんな事も思うかもしれません。
だから
生きる意味を見失ったり
希死念慮があったり
様々な悲しい想いがあるんだと思います。
私も長男が旅立った同じ年に
ステージ0のがんが見つかり
おかげさまでこうして元気に生きています。
やっぱり今でも時々思うんです。
この差はなんなんだ!?って
本当ならめちゃめちゃ嬉しい出来事。
実際嬉しいは嬉しいんですよ
でも両手バンザイでは喜べない
どうしても自分の生が
長男の死の上に成り立っているような
気がして仕方ないのです。
今回のこの奇跡のような出来事は
長男が導いてくれた事なんだ。
そう考えるようにしています。
じゃあ誰か長男の事を導いてあげることは
出来なかったのか!?
そんな事を思いつつ
私には導いてあげることは出来なかったと
苦しくなる時があります。
私にとってはここが
サバイバーズギルトなのかもしれません。
長男の死のサインを見逃してしまったのに
私はこうして生きている。
なんなら私は
その死のサインを
長男に見つけてもらってますからね。
そんなの苦しくないわけはない
もちろん長男に感謝もしてますが
私は長男に何も返せてないじゃないかと
悲しくなってしまうんです。
でも
この今の想いに気付けたので
これからは少しでも
今生きている、生かされている事に感謝をして
長男の事を想っていきたいです。
悩みや悲しみの根源に迫ったり
どうしてこうなっているのか?という
メカニズムや思考の仕組みを知れば
またここから立ち上がれるんじゃないかと
そんな事を思います。
大切な人を喪って
平気でいられる人なんかいない
でも本当は長男の事を想えば
悲しんだり苦しんでいてはいけないと
思っているんですけどね。
人間の複雑な感情と思考ゆえ
仕方ない部分があるのだと思います。
出来るだけ
自分に都合良い
気持ちの持ちようで
穏やかに長男を想う事。
それが私の
いえ、我々の最善の道なのかもしれません。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
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