皆様お疲れ様です。



先日

チェンソーマンの映画を見た話

ありましたよね。

こちらです。





みんなの想いが重なって

結果的にはめでたしめでたしで

終える事が出来ました。



そしてこういう子供の為にしてあげたり

子供の想いを背負って何かをする事




showさんのお言葉をお借りするなら

「息子事」というやつなんですけど

この「息子事」というか「子供事」って

やり遂げた時の達成感や高揚感が

少し特別と言いますか

こういう事でしか感じる事が出来ない

特別な気持ちなんですよね。



人によって感じ方は違うかもしれませんが

私の場合は達成した時の幸福感がすごいです。



その事に今更ながら気が付きました。




でもね




その気持ちとは表裏一体と言いますか

達成感や幸福感を「光」とするならば

「闇」のような感情が湧き上がる事にも

同時に気付いてしまったんです。



映画館で映画を見始めて

この映画を見ている自分と

見る事が出来なかった長男



この違いは何なんだろう?



そんな事を思ったんですけど

「それはまだいい」



100%じゃないけど

私が背負って体験する事で

長男にも体験させてあげられるし

先程書いたように

達成感などを感じる事が出来ます。





しかし問題は「この先」なんです。




例えば今回観た「チェンソーマン」




今はいい。





そして1年後、2年後

きっとまだまだチェンソーマンは

続いていくでしょう。



でもこのコンテンツが終了したら?

それに終了しなくても長男が全く知らない展開や

キャラクターの登場があるわけで



そういうものってもう

長男とはあまり関係ないものと

なってしまっているんですよね。



そしてこういうコンテンツが

ひとつ、またひとつと増えていったら

長い年月で見た場合

最終的には無くなってしまうんです。




いやでも例えば

ドラゴンボールとかワンピースみたいに

人気がずーっと続いて

お話が終わってもコンテンツとしては

ずっと生き続けるみたいな物も

あるとは思うんですよ?







でもここで

もう1つの疑問が浮かぶんです。






長男はいつまで

そのコンテンツが好きなの?

という事。



例えば20年経ったとしたら

長男はもう40歳を超えます。



20年も経ったら

好きな物だって変わってるかもしれない

自分が若い頃好きだったもので

今も好きな物ってそんなに多くはないんですよね。




そんな事を思ったら

今後は何を寄り所にして

生きていけば良いのだろう?という

漠然とした不安感に襲われました。




今、長男の仏壇周りには

写真などの他に

好きだった物のフィギュアなどが

溢れかえっています。



これも時間の流れとともに

そぐわない感じになっていくのでしょうか?



いつまで自分は

ここにしがみついていくのだろうか?



新しいコンテンツで

これはきっと長男は好きなはず!って思っても

本当に好きだった物とは

やっぱり思い入れが違うんですよね。




そんな事を考えていたら

やはりこれは

自分が独り立ちする為の助走のような

そんな気がしてきたんです。




普通に子育てしていても

徐々に子離れしていくように

逆縁にも子離れがあるのかもしれない



少しづつ長男と関わりのあるものが

消えていく中で

自分の気持ちも整理していかないと

いけないのでしょうかね。




出来るかなー?そんな事悲しい




でもそういう未来が

やってくるかもしれない

そんな事を想定して備える事は

大事なのかもしれませんね。




だから今は

楽しむだけ楽しんで

しゃぶり尽くす!!



きっと消化不良になるのが

私は一番いけないと思うので

これからも振り切って

生きていきたいなぁと思いますウインク




最後までお読みくださり

ありがとうございます。



はじめましての方へ

よろしかったら

こちらもお読みいただけますと幸いです。



私の新しい人生の出発点です




また、グリーフケア写真部の活動も始めました

ご興味がある方は自由なスタイルやペースで

写真を撮ってみませんか?



もしも撮ったら

#グリーフケア写真部  でアップして

みんなで共有していきましょう!





どうぞよろしくお願いいたします。