皆様お疲れ様です。
先日、ブログにも書きましたが
長男の月命日を思いっきり忘れました。
もちろん来月の月命日は
忘れないようにしていく所存ですが
もうちょっと緩い感じでも
いいのかなとも思ったんです。
というかそもそも
月命日について
きちんと調べた事がない
という事に気付きました。
お盆やお彼岸、四十九日や百箇日などは
そのタイミングで調べた事もありました。
月命日って既になんとなく
祥月命日の日にちだけ合ってるやつ
みたいな認識があったため
深く知ろうとしなかったのもあります。
それで私
少し調べてみたんですけど
調べてみてびっくりしました。
あ、一応私調べなので
諸説あるかもしれませんので
あくまでも
私が調べた範疇での話ですよ。
まず
命日には
祥月命日と月命日の2つがありますよね。
祥月命日は故人が亡くなった日
月命日は亡くなった日にちだけ同じの別の月
という事なんですが
そもそも命日というものに
宗教的な意味は全く無いそうです。
もちろん、宗教や宗派によっては
違うとは思いますが
一般的な仏教で話をすると
関係は無いようで
だから四十九日や一周忌、三回忌などが
あるわけです。
なるほどなーと思いました。
たしかに
最初の祥月命日と一周忌の法要は
完全に別に考えてましたし
2年目は三回忌だし
3年目は法要自体無いですもんね。
そしてもうひとつの違いは
仏教的な法要には終わりがあるという事です。
一般的には
三十三回忌や五十回忌で弔い上げとなり
法要は終了します。
少し前になりますが
石原裕次郎さんは三十三回忌で弔い上げで
石原プロとしては最後の法要です。
なんてニュースもたしかやってましたよね。
それに対して
月命日や祥月命日は
法要では無いので
終わりという概念が無いのです。
つまりはいつまでも
故人の事を心ゆくまで想ってあげられる
そういう日になるんです。
当然ね
私達遺族は
大切な家族の事をいつまでもいつまでも
想って過ごしていきます。
終わりという概念が無いと
言われたって
そんなもん最初からありませんよ。って
多分全員が思っていると思います。
私ももちろんそうです。
だけどここ最近は
月命日と普段の境目が
少し曖昧になって来ているというか
「月命日だから」という事でも
無くなってきている感覚があるんです。
だからきっと先日の月命日は
忘れたんだと思います。
でもこれって
月命日に対する気持ちが薄れたとか
軽く思っているなんていうことは無く
逆に普段の日の想いが
月命日に迫っているというような
表現が正しいかは分かりませんが
言ってしまえば気持ちは
毎日が月命日
なわけじゃないですか。
そう考えてみると
月命日の日に
更に深く想うという事は
今はあまり無いんですよね。
たしかに長男が亡くなった直後などは
月命日は更に悲しみが深くなり
結果深く想うという結果になっていたと
思います。
でも今は
いつでも想えばそこに居るし
大切な存在である事は
365日変わらないんだよなぁと
そんな事を思います。
だからといって
月命日はもう何もしません!
という訳ではなく
これはこれで大切な日
だからちょっと見方を変えて
私は今後、月命日は
長男を喜ばせる日
としていけたら素敵だなぁと思うのです。
まぁ、皆さんも大切な人が
好きな食べ物を作ったりお供えしたり
してますもんね。
私もそうです
だからやる事は
結果変わらないんです。
でもそこに
「喜ばせる」という感情が入ると
なんかポジティブに迎えられるような
気がするんです。
先日のブログでも
早くお盆が来て欲しいと書きました
気持ちはこれと同じなんだと思います。
さぁー、今度の月命日は
どんなふうにして喜ばせてやろうかなー?
そんな感じで思うと
ちょっとだけワクワクしてる自分がいます
こんな月命日でも
良いと思いません?
少しでも多く笑顔で
長男と向き合っていける気持ちを
作っていかれたらいいなと思います。
天気悪かったーー
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
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