皆様お疲れ様です。



私の知り合いで

去年の2月に

お母様を亡くされた方がいるんですけど


その人と話をしていたんです。



どんな話だったかというと



お互い家族を亡くした時期が近い事もあって

去年のあの時はお互いに

泣きながら話して泣きながら聞いてあげる

みたいな感じで

励ましたり、励まされたりして

その時を乗り切ったような事がありました。



その時の話なんかもしてたんですけど



お互いの家族が亡くなった日の話とか

普通に話してる自分がいるなぁと

冷静に思ったわけです。



そんな事を話してる中で

こんな話になったんです。



長男は夜寝ている間に

一人旅立ってしまいました。



本人も気付いてないレベルで。



当時はもちろん

その後もずっとその事を後悔してきました。



どうして異変に気付けなかったのか

助ける術は無かったのか

せめて1人で逝かせる事だけはしたくなかった



他にも色々細かい事を言えば

あるとは思うのですが

主にこんな感じの事を思っていました。



恐らくブログでも

度々その事については

書いていたと思います。



でもこうしてその人と

お互い1年経った状態で話をしていて

その気持ちに少しですけど

変化があったんです。



異変に気付けなかったのか

助ける術は無かったのか



この2つについては

この先もほぼ変わる事なく

思い続けていく事でしょう。



だけど

「1人で逝かせてしまった」

この事については

また別の考えが浮かんできました。



まぁ、何が正解かは分かりません…

先に申し上げておきますね。



長男は結局、心筋梗塞の為

自分の部屋で亡くなったわけですが



もしこれが

誰も居ないような道端で

ずっと見つからないような状況だったら?とか

駅のホームとか階段の上とかで倒れて

そのまま落ちてしまっていたら?



そんな事を考えたら



自分の部屋の一番居心地の良い

ベッドの上だった事


発見は少し遅れちゃったけど

家族が見つけてくれた事



これはこれで良かったんじゃないだろうか



そんな話をしたんですよね。





もちろん亡くならない事が一番ですけど

その話をしながら

私は長男の死を認められたのかな?と

どうなんだろうか本当の所は分かりませんが

そんな事を思いました。



そうやって少しづつ

自分の心に定着させていくのかも?



納得は一生しないけど

受け止めはする。



そんな感じなのかもしれません。




泣いたり悲しんだりする事は

とても大切な愛情表現です。



でも私は

それだけじゃ嫌だ



長男と共に

長男の事で

笑ったり笑顔になりたい



死も受け止めてあげないと

生すらも否定してしまうような気が

個人的にはしてしまうのです。



だからといって

大切な子供の「死」なんて

そうそう受け止められるものではない



それも分かっています。




でもなんとなく1年経ってみて

そういう事にも1歩踏み出してみようかな

なんていう気持ちが芽生えたのかな?



そんな事を思った

2年目スタートの私でした照れ







最後までお読みくださり

ありがとうございます。










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