皆様お疲れ様です。



最近の私のブログでは

めっきりというわけではありませんが

弱音を吐く回数が減ったと思います。


実際にリアルでも

今はヤバいくらいに落ち込むことは無く

安定した日々が過ごせているのかなと

思います。



だからといって

全然平気

というわけではなく



心の蓋は

突然パカっと開いてみたりして

苦しくなったり

悲しくなったり


深いため息が出る日だって

当然あります。



そんな時にひとつだけ

蓋止めの役割を果たしているものが

あります。



本当は色々あるとは思うんですけど

最近の蓋止めとして良く使ってるもの

みたいなイメージですね。



それは次男の泣き顔です。



長男が亡くなった時

次男は小学校6年生



ほんの少しだけ思春期の芽が出始めて

ちょっと生意気になった感じでした。



長男ともよく喧嘩してました。

もう消えなくなってしまった頬の傷

あれが出来たのもこの頃でした。

次男の心の成長を感じたエピソードでした

よかったらどうぞ。



そんな事もありまして

次男はその時割と長男を嫌ってたというか

ウザいと思ってたというか

めちゃくちゃ仲良しっていうわけでは

ありませんでした。



3人でドライブには良く行きましたが

それはあくまでも私を介しての3人



一度次男と2人だけで

ドライブ?買い物?に行った事がありましたが

次男曰く、ほとんど会話が無かったと

当時話していました(笑)



それほどまでに

長男の事をあまり好きではなかった次男




その次男がずっと泣いていたんですよね

声を上げて



もちろん血を分けた兄弟

悲しくないわけは無いのは

分かっています。



それでも普段の次男からは

想像がつかないくらい



ずーっと泣いて泣いて

私に助けを求めるような顔で

声を振り絞っていました。



あの次男の顔を思い出すと

今でも心がギューッとなります。



それで私思うんです

次男にあんな顔させちゃいけないなって



それは私が死にたいとか

誰かが亡くなるとか

そういう話ではなく



私が笑顔にさせてやらなきゃ

誰がさせるんだろうか



別に面白い事を言うとか

そういう事でもなく

(結構家で言ってるかもしれませんが笑)



楽しい思い出を作ることはもちろん



普段の当たり前の幸せを

これから先無くさないでやる事



今を維持する事



それが私の成すべき事なのかなと

思うわけです。



こんなに悲しい出来事が起きると

どうしても自分を主人公にして

物事を捉えがちになってしまいます。



実際私もそうです(多分今も…)



ある程度それはもう

仕方ない事だとは思います。



大切な人との死別を

上手く受け流す事なんか

出来る人はこの世にいないと思います。



だから自分が主人公にもなってしまう

だけどほんの少しだけでも俯瞰に見たり

次男や他の家族の立場になってみて

思いとどまるというか

また立ち上がる力にする



辛い時に私は

それを思い出すようにしています。



今では長男愛が止まらない次男

本人に見せてあげたかった


きっと見たら涙を流して喜ぶでしょうね。



家族で一番好きなのは弟だと

小学校の文集に書いてありましたから照れ



もしも蓋が開いてしまった時


自分の事を考えるよりも


他の人の事を考えて

蓋止めにする方が


蓋は閉まりやすいかもしれません。




私が辛い時に思い出すもの




それは次男の泣き顔です。



皆さんの蓋止めの情報

お待ちしております爆笑(笑)




最後までお読みくださり

ありがとうございます。









はじめましての方へ

よろしかったら

こちらもお読みいただけますと幸いです。



私の人生の新しい出発点です

どうぞよろしくお願いいたします。