大滝詠一~ナイアガラ・ムーンはまた輝くか | What's Entertainment ?

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映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

今や、福生の仙人から日本ポピュラー・ミュージック界の仙人と化した感がある大滝詠一

35mmの夢、12inchの楽園
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彼のファンを大きく分けると、はっぴいえんど時代以来、ソロ~「ゴー・ゴー・ナイアガラ」DJ時代、『ロング・バケイション』以降のいずれかに分類することができるだろう。彼のコアなファンを通称「ナイアガラー」という訳だが、生粋のナイアガラーとはもちろんラジオ関東時代の「ゴー・ゴー・ナイアガラ」のリスナーで大滝のファンだった人のことを言う。一時期のナイアガラーはコミュニティ化していて、大滝詠一の福生45スタジオ(兼自宅)を訪問したこともあったようだ。

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僕は、もちろん『ロング・バケイション』以降の正しく遅れて来たファンであるけれど、僕にとって1981年は、イエロー・マジック・オーケストラと大滝詠一と高橋留美子の年として記憶されている。青春の一頁って奴ですね。
さて、その大滝詠一であるが、友人でブルース・クリエイションのメンバーだった布谷文夫を通じて、当時エイプリル・フールのメンバーだった細野晴臣と出会っている。布谷文夫とは、後に「ナイアガラ音頭」を歌わせたり、彼のソロ・アルバム『悲しき夏バテ』のA面をプロデュースしたりと関係が続いて行くことになる。

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その当時たまたま細野と大滝が共通してバッファロー・スプリングフィールドを聴いていたことから意気投合し、それがはっぴいえんど結成に繋がって行く。今となってはバッファロー・スプリングフィールドもニール・ヤングやスティーヴン・スティルスの在籍した伝説のバンドとしてロック史の重要なピースの一つであるが、その当時の日本においては全くの無名バンドであった。ちなみに、はっぴいえんどの1st通称『ゆでめん』の歌詞カードに様々な人たちの名前が連ねてあるが、これはバッファロー・スプリングフィールドの2nd『アゲイン』からの引用である。

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元々音楽的なルーツがエルビス・プレスリーから始まり、アメリカン・ポップスとそのソングライター、スタッフに傾注していった大滝は、プレイヤー志向が極めて希薄な人であった。そのスタンスが劇的に変わったのが、はっぴいえんどでの活動である。彼にミュージシャンとしてのアイデンティティを確立したのは、まぎれもなくロックバンドはっぴいえんど時代であった。

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彼のもう一つの大きな存在は、ハナ肇とクレイジーキャッツである。

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ただ、ロックをやりながらも本来の大滝の音楽的嗜好は、ブリル・ビルディングやフィル・スペクターであったから、彼は意識的にバンド活動では自分の趣味性を封印していたとも言える。

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それを解放したのがはっぴいえんど活動中の1971年から始めたソロ活動である。ここでの2枚のシングルとソロ・アルバム『大瀧詠一』では、彼のバラエティに富んだポップス嗜好が反映した曲が多くみられる。

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そして、はっぴいえんど解散後に大滝がやったことが三ツ矢サイダーのCM音楽とナイアガラ・レーベルの立ち上げである。レーベル名は言うまでもなく「ナイアガラの大滝」から。

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吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、海援隊、なぎら健壱といったフォーク主体のレコード会社エレックと契約したのは、大滝が目論んでいたCM音楽でレコードを作るというアイディアに唯一関心を示したレコード会社だったからである。
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当初、ナイアガラ・レーベルには山下達郎と大貫妙子のシュガー・ベイブと 伊藤銀次のごまのはえ改めココナッツ・バンクが所属。大滝はプロデューサーとしての判断で、アメリカン・ポップスのシュガー・ベイブ、アメリカン・ロックのココナッツ・バンクと位置づけ、自分のソロはそれとは被らない音楽性で行くことに決める。その結果が、『ナイアガラ・ムーン』であった。このアルバムにおいて、大滝の立てたコンセプトは、仮想敵としてのはっぴいえんど=松本隆であり、大滝自らの作詞でノベルティ・ソングの世界を追求、情緒性を極力排した乾いた笑いを歌った。

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アルバムのバッキングを担当したのは、最も血気盛んな頃のキャラメル・ママの面々であり、そのグルーヴ感溢れる演奏は、まさに驚異的。何故、クラブで再評価されないのか不思議でならない。
キャラメル・ママの代表的なバッキングとしては、荒井由実の全アルバムや雪村いずみ『スーパー・ジェネレーション』が挙げられるが、僕としては『ナイアガラ・ムーン』こそが最高であると力説しておきたい。

日本のフィレス(フィル・スペクターのレーベル)を標榜したナイアガラは、早々に行き詰る。それはシュガー・ベイブが『ソングス』1枚でレーベルを脱退、ココナッツ・バンクはアルバムを発表できずに解散してしまい、大滝一人が残される結果となってしまったからである。とりあえず、山下と伊藤と記念レコーディングしたのが『ナイアガラ・トライアングル』であった。売り上げはともかく、この作品も好評を得た。しかし、残念ながら大滝自身の影は割と薄い出来であった。

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本来なら、次の作品の内容が良ければミュージシャンとしての大滝にブレイクの予感はあった。しかしながら、ここで彼は大きなスランプに苦しむことになる。しかも、レコード会社と交わした契約枚数のノルマがある。ここからが、真のナイアガラ暗黒時代の突入である。

自分のラジオ番組から捻り出した『ゴー!ゴー!ナイアガラ』、サーフィン&ホット・ロッド・インストの『多羅尾伴内楽団 vol.1』、12ヶ月を歌にした『ナイアガラ・カレンダー』哀愁の北欧ギター・インストの世界を狙った『多羅尾伴内楽団 vol.2』、敗戦処理的な裏ベスト『デビュー』、プロデューサーとしてウォール・オブ・サウンドの再構築を目指したシリア・ポール『夢で逢えたら』がことごとく不発。唯一のスマッシュ・ヒットは『ナイアガラCMスペシャル』であった。やはり問題は、レコード製作に十分な時間を費やせなかったことと、曲の出来にムラが激しかったこと、そして当時はノベルティ・ソングやフィル・スペクターに対する理解が全くなかったことが挙げられる。

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そして、失意の大滝はヤケクソ気味の音頭大宴会的怪作『レッツ・オンドー・アゲイン』を最後に、いったんナイアガラ・レーベルを畳むことになる。プロデューサー大滝詠一の大きな挫折であった。
ただ、所謂ナイアガラーは、この時代の彼の作品にことのほか思い入れがあることも付け加えておきたい。

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1975年に先ず契約を結んだエレック・レコードは1976年6月に倒産。移籍先のコロムビア・レコードには1年に4枚のアルバム製作を強いられ、1978年の『レッツ・オンドー・アゲイン』を最後に、大滝はナイアガラ・エンタープライズを閉鎖。疲れ切った彼は、この後しばらく沈黙期間に入る。

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その間の大滝は、雑誌「ビックリハウス」との共同企画で編集長の高橋章子に曲を書いたことを皮切りに、スラップスティック、クレージー・パーティー、西田敏行、須藤薫、山口百恵、太田裕美にも曲提供している。特に、太田裕美の曲については、実に久しぶりの松本隆が作詞を担当。これらの曲の中から、『ロング・バケイション』収録曲の元となる「浜辺のジュリエット」「さらばシベリア鉄道」が生まれている。

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そして、1980年にCBSソニーに移籍した大滝は、いよいよ『ロング・バケイション』のレコーディングをスタート。このレコーディングには、大滝詠一の最大の理解者の一人である朝妻一郎も資金的に一肌脱いでいる。

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この作品において、大滝は今まで封印してきた歌手・大滝詠一をメイン・キャラクターに据えて、かつて仮想敵であった松本隆に全面的に作詞を依頼した(「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」のみ、大滝の作詞)。

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このアルバムは、大滝のクルーナー・ボイスを全面的にフィーチャーしており、音楽的にはフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド、ビーチ・ボーイズ、ガールズ・ポップスやティーンエイジ・ポップス、果てはジョー・ミークまでを範疇に入れた大滝音楽の集大成的な内容となった。この作品はロング・セラーを続け、ついにはミリオンを達成する。また、邦楽第一号のCD作品となった。ちなみに、「FUN×4」のフェード・アウト前に英語で挿入されるのは、もちろんビーチ・ボーイズ永遠の名曲「FUN,FUN,FUN」のサビである。

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ここで勢いに乗った大滝は、1981年に松田聖子『風立ちぬ』のA面をプロデュース、1982年には佐野元春・杉真理と『ナイアガラ・トライアングルVol.2』を発表。

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佐野はシングル「SOMEDAY」を1981年6月にリリース、杉真理も1980年のCBSソニー移籍後決定打がない状態でのレコーディングであった。しかし、このアルバムにおける二人の楽曲は素晴らしく、その後に佐野元春はアルバム『SOMEDAY』で大ブレーク、杉真理もミュージシャン・作曲家として広く認知されることとなった。
プロデューサーとしての抜群の目利きを見せた大滝であったが、このアルバムでは「A面で恋をして」以外の彼の楽曲は、『ロング・バケーション』ほどの冴えが見られない。

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曲調はかなりメロウであるが、メロディがキャッチーではないからである。結果的に、この作品では特に杉真理の作曲家としての才能にスポット・ライトが当たる結果となったように僕は感じている。もちろん、佐野も素晴らしいが。

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1984年には、やはり松本とのコンビで『イーチ・タイム』を発表。自身初のオリコン初登場第1位を獲得する。しかし、この作品もいささかメロウさが過剰な印象は否めない。今考えると、よく大滝がもう1枚アルバムを発表したなというのが率直な感想である。

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ちなみに、アルバム・ラストの「レイクサイドストーリー」は、アナログ・レコードでは最後に1度フェイドアウトした後でもう1度フェイドインする。後のCD化に際してはシンプルにフェイドアウトして終わりだから、当初バージョンは今となっては結構レアである。
1985年までに大滝が提供した代表的な楽曲は、中原理恵「風が吹いたら恋も受け」、松田聖子「ロックンロール・グッバイ」、森進一「冬のリヴィエラ」、金沢明子「イエローサブマリン音頭」、薬師丸ひろ子「探偵物語」「すこしだけやさしく」、ラッツ&スター「Tシャツに口紅」、稲垣潤一「バチェラーガール」、小林旭「熱き心に」辺りを挙げておけばいいだろう。
CMソングとしては、珠玉の傑作だと僕が信じる「Cider'83」も忘れられない。

その後の大滝は、1988年に『ナイアガラ・トライアングルVol.3』、1989年に『ナイアガラ・カレンダー'89』(これは、1978年の『ナイアガラ・カレンダー』のジャケットで使用したカレンダーと同一のカレンダーになることからジャケット復刻を画策した。)、1991年に『1991』、1994年に『ナイアガラ・トライアングルVol.4』、2000年に『ナイアガラ・トライアングルVol.5』、2001年に『2001年ナイアガラの旅』というアルバム構想を語っていた。
この中で、当時我々ファンは『ナイアガラ・トライアングルVol.3』、『1991』、『2001年ナイアガラの旅』の3枚については、かなりの信憑性を持って受け止めたものだった。特に、『1991』に至っては、CBSソニーに「1991」のレコード番号を押さえたことを公言していたし、1971年のソロ活動スタートと『風街ろまん』、1981年の『ロング・バケーション』と常々大滝は10年周期説を唱えていた。だから、『1991』が結局リリースされなかったことで、ファンは事実上ニュー・アルバムに対する期待を持たなくなったのである。

その後の大滝のレコーディングは、1997年にシングル「幸せな結末/Happy Endで始めよう」、2003年にはシングル「恋するふたり」を発表。また、竹内まりやと彼女のアルバム『ロングタイム・ファイバリッツ』で「恋のひとこと」をデュエットしている。

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現在の大滝は、自身の旧作のマスタリングとアーカイヴに心血を注いでおり、彼こそが究極のナイアガラーにしてナイアガラの番人と化している。それも、今年の3月21日に『ロング・バケーション』30周年記念盤『NIAGARA CD BOOK Ⅰ』をリリースしたことで、一段落ついた。

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もはや、大滝がニュー・アルバムを発表することはないと思われるが、このようなスタンスのミュージシャン&プロデューサーが一人ぐらいいてもいいように僕は思っている。
なお、大滝はコンサートでも色々な逸話を残しているが、1985年のライブ・イベント「ALL TOGETHER NOW」におけるはっぴいえんど再結成以降、彼はステージに立っていない。

僕自身にとっての大滝詠一と言えば、「うららか」、『ナイアガラ・ムーン』、『ロング・バケーション』、「Cider'83」、「A面で恋をして」、「バチェラーガール」、松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」ということになる。

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いずれにしても、今となってはコロムビアとの契約終了時点で、彼が音楽界を引退しなかったことに心から感謝するのみである。

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もはやナイアガラ・ムーンが再び輝くことはないかもしれないけれど、大滝詠一の輝ける楽曲と伝説はずっと生き続けるのだから。