ひとりぼっちのキング・エルヴィス | What's Entertainment ?

What's Entertainment ?

映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

この文章は、基本的に1980年頃から本格的にロック、特に洋楽ロックを聴き始めた方に向けて書かれている。

ロックンロール誕生から、早60年が経つ。DJアラン・フリードが「ロックンロール」という言葉を初めて使用したのが、1953年のことである。ロックは黒人のレース・ミュージック(リズム・アンド・ブルース)と白人のカントリー・アンド・ウエスタンのクロスオーヴァーから誕生したというのが、今や定説となっている。恐らくは、1950年代初頭に黒人と白人の若者たちが踊るために演奏したビートの強い音楽が、徐々に混じり合ってより気持ちのいいダンス・ミュージックへと進化したのがロックンロールであったのだろう。

35mmの夢、12inchの楽園

白人を主体としたロックの歴史においては、ビル・ヘイリーと彼のコメッツが映画『暴力教室』のオープニングで使用された「ロック・アラウンド・ザ・クロック」('54)を発表して大ヒットさせたのがロックの黎明であると言われることが多い。

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その彼らと取って替わるように登場したのが、キング・オブ・ロックことエルヴィス・プレスリーである。サン・レコードからRCAに移ったエルヴィスが最初に発表した「ハートブレイク・ホテル」がチャートの第1位になったのが1956年のことである。

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所謂ロックンロールのオリジネーターを呼ばれるミュージシャンとしては、黒人なら、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、ボ・ディドリーがいるし、白人であれば、エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー、エディ・コクラン、ジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソン、ジーン・ヴィンセント、クリフ・リチャード等を挙げておけばいいだろう。

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その中において、エルヴィスの存在はケタはずれである。アメリカの、いや世界のポピュラー・ミュージックにおいて最も成功したソロ歌手、それがエルヴィス・プレスリーなのである。

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もちろん、エルヴィス・プレスリーはロック界の伝説であり、世界中に数多くのマニアが存在するし、現在でも熱心に彼を研究している人たちは存在する。毎年のように新譜CDがリリースされており、その売り上げも好調である。毎年の売り上げは55億円前後と言われている。
本人が42歳で亡くなって既に33年が経過したが、音楽産業としてのエルヴィス・プレスリーは今なお現役であと言っていいだろう。

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これだけの輝かしい経歴を持ち、「ザ・キング」とまで言われたエルヴィスであるが、僕はどうしてもいまだに彼が過小評価されているように感じてならない。
例えば、チャック・ベリーであればジョン・レノンが熱烈なリスペクトを何度となく表明しており、ビートルズやローリング・ストーンズをはじめとして数えきれないカバーがされている。リトル・リチャードも、ビートルズ初期のポール・マッカートニーは完全にその影響下にあり、「ロング・トール・サリー」のカバーに至っては、歌唱法までがストレートにトレースされている。

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バディ・ホリーは、ビートルズが「ワード・オブ・ラブ」を、ストーンズが「ノット・フェイド・アウェイ」をアルバムに入れており、特にストーンズは今でもこの曲をコンサートのオープニングで演奏することがある。

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エディ・コクランと言えば、「サマータイム・ブルース」をザ・フーとブルー・チアーがカバーしている。

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実は、エルヴィスに憧れてミュージシャンになった人に、ジョン・レノン、レッド・ツェッペリンのロバート・プラント等がおり、コンサートではエルヴィスの曲を演奏しているのだが、レコーディングは残していない。

エルヴィスのカバーで僕が思い浮かぶのは、ブルース・ブラザーズ「監獄ロック」、UB40「好きにならずにいられない」、チープ・トリック「冷たくしないで」、RCサクセション「ラブ・ミー・テンダー」、YMO「ポケットが虹でいっぱい」と言ったところである。これらのカバーは、どちらかと言うと寝技的というか、
ストレートにエルヴィスの原曲と勝負したものではない。

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他のミュージシャンとは異なり、エルヴィスの曲というのは原曲の存在が決定的過ぎるのだろう。
つまり、エルヴィスの有名曲は数知れないが、彼の楽曲は決してスタンダードにはならないのである。それこそがエルヴィスの特殊性であり、偉大なところであるとも言える。ただ、そのことが災いして彼の曲が若きロック・ファンにちゃんと浸透し切らなかったとも言える。

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せいぜい、ザ・クラッシュが名盤『ロンドン・コーリング』のジャケットにおいて『エルヴィス・プレスリー登場!』のオマージュをやっていることくらいである。

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ミュージシャンのインタビューを読んでいると、エルヴィス・プレスリーをアイドルや尊敬する先達としてコメントしている人は思いのほか少ない。日本ですぐに思い浮かぶのは、大滝詠一くらいである。

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ジョン・レノンに至っては、1965年にビートルズがエルヴィスとたった一度邂逅した時にもかなり辛辣なコメントを残している。その当時のエルヴィスがあまりにショウ・ビジネス化していたことと、ベトナム戦争に賛同していたことが理由であるとされているが、エルヴィスもこの一件でジョンを嫌うようになった。

エルヴィス・プレスリーがロック界においてストレートに評価されない理由としては、一連の没個性化した主演映画の数々や、1969年以降のラスヴェガスでのコンサート活動に対するイメージが大きいのではないか。
映画出演については、マネージャーであったパーカー大佐のイニシアティヴの下で行われており、当初俳優業にも大きな関心を持っていたエルヴィス自身を大きく失望させることになった。

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ラスヴェガスのステージは、徐々に顕在化してくるストレス過食による体形の崩れや、きらびやかなジャンプスーツ、空手アクションなどが非ロック的であると受け止められたのだろう。また、コンサートで演奏する曲も、ロックからよりバラエティーに富んだ大衆的なものになって行ったことも大きいだろう。

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謂わば、ロッカーというよりもウェイン・ニュートンのようなアーティスト・イメージを持たれたのである。イギリスで言えば、クリフ・リチャード辺りとダブらされるのではないか。

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確かに、エルヴィス・プレスリーは自分で作曲するよりも、人の楽曲を圧倒的に歌ったシンガーであるが、彼が歌ったのはリーバー&ストーラーを始めとした優れた楽曲ばかりであった。その他にも、レイ・チャールズの「アイ・ガット・ア・ウーマン」やクライド・マクファター&ザ・ドリフターズの「マネー・ハニー」と言った実にマニアックなものが多い。
エルヴィスは、最高の歌手であり、優れた耳を持つソング・スタイリストであったのだ。

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エルヴィスの最初のキャリアであるサン・レコード時代。1954年から55年にかけて彼は5枚のシングルをリリースしたが、この時にやった楽曲を聴くと、それはロックンロールというよりもカントリーをパンクに演奏したロカビリーである。ロカビリーとは、泥臭いカントリーであるヒルビリーとロックンロールが融合してできた音楽であるから、エルヴィスはロカビリーのオリジネーターとして登場し、RCAでロックンロールに先祖返りしてロックンロールという音楽を全米に広めた功績者というのが、実像なのだろう。
ここに、エルヴィスのソング・スタイリストとしての最初の偉大な功績がある訳だ。エルヴィスこそが、最初に登場した白人パンク・ロッカーだったのである。

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エルヴィスが不運だったのは、ミュージシャンとしての最初の絶頂期である1958年に徴兵通知を受けたことである。そして、1960年に満期除隊すると、それまで4本出演した映画の方にパーカー大佐が活動をシフトしたために、1969年までに27本もの映画に出演をせざるを得なくなってしまったことである。
実は、タレントとしてのこのような活動形態は、エルヴィスによってショウビズ界にもたらされたと言っていい新しいスタイルであった。

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そんなエルヴィスが歌手としての再起を賭けたのが、1968年の「NBC-TVスペシャル」である。このテレビ番組は瞬間最高視聴率78%を記録する大成功を収め、エルヴィスは歌手として本格的に活動を再開する。

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そして、1969年には大傑作アルバム『エルヴィス・イン・メンフィス』を制作する。
しかし、それと時期を同じくしてエルヴィスの過密スケジュールが始まる。その結果、前述したストレスからの過食による肥満と不眠のために処方された睡眠薬のオーヴァードーズにより体調が蝕まれていった結果、不整脈を起こして逝去するに至ったのである。

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正直に言えば、長い間僕にとってのロッカー・エルヴィスとはサン・レコード時代であった。そして、ロックの歴史として彼のヒット曲を聴くにとどまっていた。実のところ徴兵以降の彼は、ほとんどノー・チェックであった。

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その考え方が変わったのが、エルヴィス・コステロである。エルヴィス・コステロは、1986年にザ・コステロ・ショウ名義で傑作『キング・オブ・アメリカ』を発表した。その時にコステロが起用したミュージシャンの中には、何と70年代エルヴィスのバック・バンドだったジェームズ・バートンとジェリー・シェフがいたのである。そして、彼はそのメンバーをザ・コンフィデレイツと命名して来日コンサートも行った。僕はそのライブを観て、ジェームズ・バートンとジェリー・シェフの演奏に感激。後期エルヴィスに対する考えからががらっと変わってしまったのだ。

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今の耳で1968年から1969年のエルヴィスのアルバムを聴くと、そのあまりの完成度の高さに声も出ない。完璧な歌唱があり、完全無比のバンド演奏がある。

エルヴィスは、たった一人でアメリカン・ポピュラー・ミュージックの歴史を体現しているのである。そこには、カントリーがあり、ロックンロールがあり、ロカビリーがあり、ゴスペルがあり、リズム・アンド・ブルースがあり、ポップ・ミュージックがある。

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アメリカ人ロック・ミュージシャンを一人選べと言われた時に、ボブ・ディランを挙げる人も相当数いると思うが、音楽的な底知れぬ奥深さから考えたら、やはりエルヴィス・プレスリーしかあり得ないだろう。

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彼は、ロカビリーの創始者であり、白人によるロックンロールの伝道師であり、アメリカ大衆音楽の体現者であったのだ。

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エルヴィス・プレスリーの本当のとてつもなさを知って頂くために、次のアルバムを聴くことをお勧めしておく。

『Sunrise』
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『Elvis 30 #1 Hits』
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『Elvis Presley』
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『Elvis 56』
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『Complete '68 Comeback Special-40th Anniversary』
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『From Elvis In Memphis: Legacy Edition』
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今ロックに夢中になり、ビートルズのリマスター盤を体験している方々も、きっと衝撃を受けるはずである。