若松孝二『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』 | What's Entertainment ?

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今回は、鬼才・若松孝二監督と2008年の監督作『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』について書きたいと思う。

35mmの夢、12inchの楽園

35mmの夢、12inchの楽園

若松孝二は、高校中退後に上京し、さまざまな職を転々とした後ヤクザとなり、その時に起こした諍いが元で半年間の拘置所留置後、執行猶予判決を受ける。
その体験から彼は大の権力嫌いとなり、その怒りを表現するべく映画監督になった。ピンク映画『甘い罠』('63)で、監督デビュー。エロスとバイオレンスを徹底的に描く作風が圧倒的支持を受け、ピンク映画としては稀有な集客力を誇った。
その後、彼は若松プロダクションを設立し、自らの監督作品に留まらず、制作も手掛けるようになる。若松プロには、足立正生大和屋竺といった才能が集まり、その作風は「政治の季節」の学生たちに熱狂的に支持されることとなった。
そして、若松孝二の監督・制作映画は、音楽も実に先鋭的だった。ロックでは、ジャックスやフード・ブレイン、フリー・ジャズでは山下洋輔トリオ、阿部薫、富樫雅彦、高木元輝等がサウンドトラックを担当している。山下洋輔トリオや阿部薫は、作品の中に演奏シーンもある。

さて、元来若松孝二は自ら連合赤軍を題材にした作品を監督する意思はなかった。監督自身が赤軍派と近しい立ち位置にいた時期があるからだ。

例を挙げよう。
○1960年代後半の新宿の飲み屋にカンパに訪れた赤軍派の重信房子に、彼は偶然遭遇している。
○本作品の登場人物・遠山美枝子が彼の作品の上映を手伝っていたことがある。
○1971年に足立正生と共にカンヌ映画祭参加後、パレスチナに渡り結成間もない日本赤軍と合流して、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)を撮影する。その作品『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』は全国各地で自主上映され、若松プロは公安に徹底的にマークされると同時に、多くの若者の支持を得る。岡本公三がこの映画に触発されたのは有名な話である。
○若松プロの足立正生が日本赤軍に合流し、若松監督は彼の政治運動に資金援助をしている。

35mmの夢、12inchの楽園

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ただ、ここで断っておきたいのは、若松孝二自身は決して新左翼シンパではないということだ。彼は人間としての赤軍兵士に関心を持ったのである。事実、彼は学生運動に対しては「学生のお遊び」と発言している。
あくまで、人間ドラマの一側面として政治や過激派を作品の素材としたのだ。

実際に若松監督は、他の監督があさま山荘事件を題材にした作品を撮ってくれるのをずっと待っていたそうである。
しかし、2002年原田眞人監督『突入せよ!あさま山荘事件』が発表されるに至って、彼の考えが変わる。この映画は佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』を原作としたものであり、事件を警察側の視点から描いた作品であった。それを観て、大の権力嫌いの彼は「冗談じゃない。自分が監督として、この事件を当事者の視点で描こう」と決意、2005年に制作に着手した。

35mmの夢、12inchの楽園

彼はこの作品を、ひとつの青春映画として撮ったと発言している。確かに、映画の題材は学生運動であるが、そこには政治的プロパガンダの色彩は皆無である。あくまでも、状況が淡々と情緒的に描かれていく。
余談ではあるが、村上春樹の大ベストセラー作『ノルウェイの森』は、まさにこの時代の新宿が舞台である。


35mmの夢、12inchの楽園


この『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、最小限のスタッフと低予算で作られた。当初は、制作費をカンパでまかなう予定であったが思うように資金が集まらず、監督自身の自宅を抵当に入れた上、あさま山荘のロケには自分の別荘を使用した。厳しい撮影環境のため、俳優たちにもかなりの覚悟と根性が要求されたようである。
山岳ベースのシーンが物語の中心に据えられているため、役者は寒さの厳しい山間での合宿生活をしながらの撮影となった。共同生活を続けるうちに役自体が俳優に憑依したような状態となり、現場の雰囲気はかなり殺伐とした鬼気迫るものだったようだ。

作品に対する監督のこだわりは、上映前から既に現れている。客入れの際、スクリーンには当時の学生運動の様子が延々と映し出されているのである。

ストーリーは、先ず70年安保前の学生運動の発祥から全共闘、赤軍派結成、主力メンバーの逮捕、重信房子のパレスチナ脱出までが駆け足で描かれる。この辺は予備知識がないと、話の展開に頭がついて来れない性急さである。

35mmの夢、12inchの楽園

ここからが本題。ゲリラ活動中に敵前逃亡して学生運動から足を洗っていた森恒夫が再び赤軍派に呼び戻され、主力メンバーを失った赤軍派幹部になって行く。そして、思想的には相容れない永田洋子率いる革命左派と資金と銃器の調達・山岳ベース建設の両面で共闘することとなり、ついには連合赤軍結成へと至る。

35mmの夢、12inchの楽園

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そして山岳ベースを舞台にした総括という名のリンチによる仲間の殺人が克明に描かれる。所謂「山岳ベース事件」と称されるもので、集団リンチによって12人のメンバーが殺害及び死体遺棄された一連の殺人事件である。実際の暴行は、映画で描かれているよりもずっと凄惨かつ執拗なものだったようだ。
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この山岳ベース事件は、赤軍派と革命左派の主導権争いに端を発したもので、「総括」と称して内部でメンバーに対する批判や自己批判の強要が行われるようになり、更には自己総括を援助する名目で「総括援助」という名のリンチが加えられるようになった。
幹部の森恒夫が「総括援助で失神した同士は、目が覚めた時に真の革命戦士になる」と言ったことが、総括エスカレートの原因だが、実際に暴行を受けた者で失神した者は一人もいなかった。

35mmの夢、12inchの楽園

暴行を受けた後、彼らは縛り上げられ、ある者は柱に括り付けられ、ある者は屋外に放置された。
彼らの死因は殴打による内臓破裂や、氷点下の屋外にさらされたための凍死であった。暴力の理由が「真の革命戦士になるため」ということで、被害者は全く抵抗しなかったようである。自分の顔を30分間にわたって殴らされ続けた女性メンバー(遠山美枝子)もいる。
35mmの夢、12inchの楽園

その後、連合赤軍のメンバーは警察の執拗な追跡に遭い、ほとんどが逮捕され、残った5人があさま山荘での10日間に渡る攻防を繰り広げることとなる。そして、死者3名、重軽傷者27名を出したこの事件は、犯人全員の逮捕と人質の救出により幕を閉じる。
35mmの夢、12inchの楽園

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一連の連合赤軍事件自体を総括すると、無能な指導者の誤導の元で、集団催眠的に物事が狂的エスカレーションを誘発した悲劇である、と言える。
ちなみに逮捕された森恒夫は、獄中にて首吊り自殺する。彼は、最終的な責任からも逃避したのである。森の自殺の報を聞いた永田洋子は「森さんは、卑怯だ」と呟いたそうだ。
35mmの夢、12inchの楽園

35mmの夢、12inchの楽園

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そして映画は、その後の赤軍派の起こした事件と辿った運命をテロップで流し、エンディングを迎える。


とにかく作品の中で、登場人物がやたらと『革命的~』という言葉を発する。まあ、実際にそういう時代だった訳だが、僕の隣で映画を鑑賞していたカップルは爆笑していた。まさに、隔世の感がある。

それにしても、この作品を観終わった後、何とも言えないざらついた嫌な後味が残る。
その原因は何だろうと考えていて思い当たったのが、この連合赤軍的メンタリティは形を変えて、カルトという名の集団となり現在も生き続けているのではないか…ということである。

実に複雑な気分にさせられる、若松監督渾身の力作である。
今の若い人にこそ観て頂きたい。

狂気とは、いつでも身近に潜んでいるのだ。その虜にならないことは、たまたま貴方の運がいいだけなのかもしれないのである。孤立を恐れ、同時に深いコミュニケーションは避け、適当な協調とバーチャルと携帯電話の世界を浮遊する若者世代の姿を見るにつけ、僕はこの不安に襲われるのだ。
実は、今まさに貴方の隣で悪意の落とし穴が口を開けているのかもしれない。他人の孤独に敏感で、するりと弱った心に入り込む術にカルトの人々は長けているのだ。 自戒の念もこめて、お気をお付け頂きたい。

健全な社会・健全な人間関係には、最低限の健全なコミュニケーションが不可欠なのだから。

そんなことまで考えさせられる作品である。