岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』 | What's Entertainment ?

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映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

2001年の岩井俊二監督『リリイ・シュシュのすべて』を観た。その感想を書きたい。脚本も岩井俊二。音楽は小林武史。撮影は篠田昇。製作はロックウェル・アイズ。配給は日本ヘラルド映画。

35mmの夢、12inchの楽園

当初、この作品は岩井俊二(日本)、エドワード・ヤン(台湾)、スタンリー・クワン(香港)の3監督により発足したY2Kプロジェクトの一環で、香港のアーティスト「リリイ」と台湾に住む少年の物語として企画された。リリイ・シュシュ「グライド」のPV撮影も行われたが、監督の岩井自身がどうしても納得できず、製作が中止された。
その後、朋友の小林武史と岩井が飲んだ席で、小林が「(この映画のために)作った曲をどうするんだよ?」と言ったことがきっかけとなり、岩井は2001年4月1日に架空のリリイ・シュシュ・ファンサイト「Lily Holic」をサティという管理人を立てて開設する。その掲示板を岩井自身が多数のHNを使い分けて、リリイのファンの書き込みとして物語を誘導していく。その掲示板は一般にも書き込み可能であったために、物語は岩井の思惑を揺さぶりながらハプニング的手法で進行して行く結果となった。

岩井は、当初ネット上での実験小説として完結するつもりで始めたが、掲示板運営が日を重ねて行くうちに「これは映画になる」と確信する。そこで、物語を映画用脚本としてリライト、オーディションにより役者をキャスティオングした。その役者たちのイメージに合わせて当初の原作を改訂して、映画『リリイ・シュシュのすべて』は完成を見た。
岩井自身は、この作品について「遺作を選べたら、これにしたい」と述べている。


それでは、ストーリーを紹介しよう。
例によってネタバレするので、お読みになる方はご注意頂きたい。

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見渡す限り水田が広がる地方の田園都市。2000年、中学2年生で14歳の蓮見雄一(市原隼人)は、父親を交通事故で亡くし、美容院を経営する母・静子(阿部知代)、義父、血の繋がらない弟と家族四人で暮らしている。
学校は荒れており、星野修介(忍成修吾)が組織する不良グループが幅を利かせている。雄一もその一員ではあるが、ある事件をきっかけにいじめられる対象となる。

35mmの夢、12inchの楽園

鬱屈した日々の中で、雄一が唯一生きていることを実感できるのは、一部に熱狂的ファンを持つ女性歌手リリイ・シュシュの音楽を聴いている時だけだった。そして、雄一はフィリアというハンドルネームで「リリフィリア」というファンサイトを開設。そのBBSでのファン同士の書き込みの中に自分の居場所を見出している。
常連投稿者の一人に青猫というファンがおり、次第に雄一と青猫は共鳴して行く。

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1年前、雄一13歳。中学生になった雄一の人生は希望に満ちていた。小学校時代から文武両道のクラスメイト星野修介が生徒代表で答辞を読んだ。彼は入学当初からとても目立つ存在だったが、同じ剣道部に入部したことで雄一と仲良くなった。雄一は一度星野の家に泊まったこともあったが、彼の母・いずみ(稲森いずみ)は若くて美人、家も裕福だった。
ヒーローのような星野だったが、実は小学校時代いじめられていた。それは、剣道部仲間で野球部の応援に行った帰り、星野の小学校時代の悪友と遭遇して判明した。また、その折に一年生の間で人気の女子生徒・久野陽子(伊藤歩)が星野の小学校時代のクラスメートであったことも分かった。実は、星野は音楽好きの久野に教えられて、リリイ・シュシュのファンになっていた。
夏休み、剣道部の仲間たちで沖縄旅行の話が持ち上がる。しかし、金の当てがない雄一たちは、偶然秋葉原でヤンキー高校生がオタクを恐喝する現場に遭遇した。すると、星野が、ヤンキーから現金を奪い取って逃走。その金で、西表島へ行くことができた。
南の島での時間は夢のように楽しいものだったが、そこで出会った大学生の高尾旅人(大沢たかお)が交通事故に遭ったり、星野が溺れて死にそうになったりと、旅には黒い影が立ち込めて行く。

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新学期。頭を茶髪に染めて来た同級生を締める不良の犬伏列哉(沢木哲)。しかし、その犬伏にナイフを突き付けて星野が逆襲する。星野は犬伏を徹底的にいたぶり、遂には休学に追い込む。
明らかに夏休みまでと人格が変貌した星野は、それまでの仲間を取り込んで万引き等の悪事を働くようになる。剣道部もさぼるようになり、遂に退部した。雄一も星野のパシリの一員に取り込まれるが、やがて雄一は星野のいじめの対象にもなってしまう。
夏休みに星野の父親の工場が倒産、一家離散となっていた。星野が荒れる導火線となったのだった。

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現在、雄一は14歳。星野のグループは、さらに組織化されている。多田野雅史(郭智博)、クリオネ(中村太一)、飯田待典(五十嵐迅人)、辻井影彦(西谷有統)に雄一を加えた部下たちは、繰り返し万引きを重ねてはその上納金を星野に収めるシステムが確立していた。相変わらず、音楽的才能に溢れ、美人でもある久野はクラスの男子に人気が高く、雄一も彼女に密かに憧れている。その一方で、神崎すみか(松田一沙)を中心とした女子グループは、彼女を生理的に嫌悪し、目の敵にしていた。

35mmの夢、12inchの楽園

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そんなある日、雄一は新たな命令をされる。同じクラスの津田詩織(蒼井優)を尾行しろというのだ。詩織は星野に弱みを握られ、援助交際を強要されていた。その初仕事のお目付け役が雄一だったのだ。仕事の帰り道の何気ないやり取りの中で、詩織は雄一に悪くない印象を持つのだった。

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35mmの夢、12inchの楽園

神崎たちの久野に対する嫌がらせが頂点に達する。星野を抱き込んだ神崎は、久野をリンチにしようと企てた。星野の命令で、雄一は久野をかつて星野の父親が所有していた廃工場に誘き出す。そこで、星野が話があるからと。
しかし、その工場で彼女を待っていたのは、顔にストッキングを被った星野の手下たち。逃げまどう久野はとうとう野犬のような輩に捕まり、足を開かされる。事が済んだ後、工場の床には久野の股間から流れた鮮血の赤が広がっていた。
煙草を咥えながら、何の感情も出さずに工場を見つめている星野。その横では、号泣する雄一の姿があった。

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援助交際を続けていた詩織。彼女は雄一に、「久野さんは大丈夫だよ。彼女は強いから」と言った。そして、詩織は広い空き地でカイトを飛ばす数人のマニアたちに出会う。彼らに混じって、彼女もカイトを操らせてもらう。
やがて陽が傾き、カイトを飛ばす人々も帰路に着いた。一人だけ空き地に残った詩織。彼女は高い鉄塔に登り、まるでカイトのように一瞬だけ空を舞った。

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翌日、詩織の机の上には花が手向けられていた。久野の姿もない。担任の小山内サチヨ(吉岡麻由子)の出席を取る声が続く。すると、無言で久野が入って来る。彼女の頭は、暴力的な虎刈りの如きスキンヘッドだった。これには、流石の神崎一派にも動揺が走った。

リリイ・シュシュのファンサイト「リリフィリア」では、管理人フィリアの「死のうと思いました。でも死にきれなかった」という悲痛な叫びが踊った。彼の言葉に、青猫は「あなたの苦しみは自分にも分かる。なぜなら、自分もあなたと同じ痛みの中にいるから」と返した。

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12月8日、リリイ・シュシュ20歳の誕生日に、彼女初のソロ・コンサートが決定する。当然、「リリフィリア」の投稿者たちも色めき立つ。フィリアこと雄一は、会場の代々木第一体育館で青猫と会う約束を交わす。目印は、青猫が手に持った青リンゴだ。
コンサート当日。会場で雄一は青リンゴを探す。しかし、そこで雄一は信じられない光景に出くわす。青リンゴを手にしたファンは、何と星野だった。雄一をフィリアとは夢にも思わない星野は、雄一に気付くと、彼にコーラを買いに行かせる。雄一のチケットを奪い取った星野は、コーラを買って戻って来た雄一の目の前で、チケットを丸めて捨てた。会場に吸い込まれて行く星野と、呆然と佇む雄一。

会場前に設置された巨大モニターからは、終始リリイ・シュシュのPV映像が大音響で映し出されていた。ただ、その前に立つ雄一。
コンサートが終わり、客が溢れ出してくる。その中に星野の姿を認めた雄一は、大声で「リリイだ!リリイがいるぞ!」と叫ぶ。雄一の声を聞いて、ファンがリリイを求めて殺到する。もちろん星野も。その星野の背後に回った雄一。地面のコンクリートに葛折れる星野。人が波紋のように彼の周りで輪を作る。その集団とは反対の方向に足早に去って行く雄一。雄一の手に握られた青リンゴには、血のついたナイフが付き立てられている。

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急激に成績が下がったことを心配して、担任の小山内が職員室に雄一を呼び出す。しかし、雄一の言葉ははっきりしない。職員室を出る時、小山内は「もう、久野さんに帰っていいと言って」と言う。職員室の隣にある音楽室では、スキンヘッドを帽子で隠した久野が、一心不乱にピアノを弾いている。その彼女を、雄一はただ見つめている。

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上映時間146分の長大な物語。そこに提示されるのは、圧倒的な暴力であり、陰惨ないじめであり、強要される万引きであり、衆人看守での自慰行為であり、援助交際であり、レイプであり、殺人である。
沖縄旅行のエピソード前半以外は、ひたすら陰鬱で息苦しい時間が経過するのみだ。そこには、おおよそ某かの救いのようなものは見出せない。

結果として、メディアミックスのような形で発表された映画である。先行してネット小説があり、そこでのやり取りを回想する形で映像が語られる。であるから、事前に設定なり情報なりをある程度フォローしないと、映画単体ではいささかストーリーが分かりにくい。
映画は、唐突に「リリフィリア」での書き込みテロップがスクリーンに現れ、音楽が流れ、雄一たちの物語が途中から何の説明もなく始まる。


35mmの夢、12inchの楽園

まるで自主製作映画のように暗く、何が写し出されているのか分からない映像がかなりの時間続く。自然光とピンスポット照明だけで映し出される映像は、斬新と言うよりもむしろ投げ遣りな印象さえ受ける。
西表でのシーンに至っては、全てがハンディ・カメラでのパンクなまでに荒い映像である。

作品の主題は、「田園」と「電波」。田舎の田んぼにきっちり照明を当てるとまるで『フィールド・オブ・ドリームス』のような綺麗な画になってしまうため、田園都市のリアルな映像にこだわった岩井監督が編み出したのが、この反則技の如き照明であった。
当時、完璧に作り込んだ映像を提示することに疑問を抱き始めた岩井監督は、「映画とは何か、表現とは何か」と言う命題を自問自答する日々を送っていた。その時に思いついたのが、不完全な形態のネット小説であり、結果としてそれは不完全な映画の製作へと繋がって行った。
この作品は、岩井演出の一つのメルマークであり、ターニング・ポイントとなった。

この作品を観た少なからぬ人たちが、本作をひたすら続くマスターヴェイション的作品、自己愛の極北的な映画、映画だけで独立していない不完全な作品等と批判する事はあながち的外れではないだろう。
しかし、この映画が岩井作品の中でも特別な意味を賦与されているのは、まさにその不完全さ故である。その不完全さこそが、表現欲求を持った人、クリエイター志向の人に、特別な感情を抱かせるのである。作り手としての魂を刺激するのだろう。

この映画の持つ根源的な不完全さと徹底的に説明を排した暴力性は、ある種の人々の人生観や生き方、思想と共振する。その意味において、この作品は観る人を選び、また観客から選ばれし作品でもある。
意識的であれ無意識的であれ、内包する自分の不完全さに答えを見出せずに悶々としている人、とりわけ思春期の若者の感性にとって、この作品は特別な何かを提示するのである。だからこそ、この作品は岩井自身にとっても映画を愛する人にとっても「特別な存在」たりえているのである。
僕はあまりこういう言い方を好まないのだが、やはりこの映画には選民的な本質が宿命的に宿っている。

我々の人生が本当に理不尽なのは、ほとんどの事柄には理由などなく、そこには剥き出しの残酷な結果のみが提示されるからである。表現の程度が過剰であろうと甘かろうと、この映画が提示する暴力性には一つの真実があるのだ。

岩井自身は、リリイ・シュシュの誕生日を敢えて1980年12月8日ジョン・レノンの死んだ日に設定したのは、彼が特にビートルズあるいはジョン・レノンを深く愛していたからではない。メディアを介して、その内側にいるスーパースターとその外側にいる狂信的なファンが、メディアの枠を取り払って「殺人」という現実でコミットしたことに衝撃を受けたからだ。
映画公開から10周年、ネットはさらなる人間関係と共により深い闇を作り出している。その典型が、2008年6月8日に起きた秋葉原通り魔事件であろう。
リリイ・シュシュの公式サイトはいまだ継続中であり、岩井は今回の再映を継続10周年であると位置づける。現代の社会状況を鑑みるに、今こそ『リリイ・シュシュのすべて』ははもう一度世に問われる絶好のタイミングなのである。


そして、僕はこの作品を2010年12月8日、リリイ・シュシュ30歳の誕生日に、渋谷シネマ・アンジェリカにおいて初体験した。上映後には、スカイプでロスの自宅にいる岩井監督と話をする機会にも恵まれた。

35mmの夢、12inchの楽園

ただ一言、多くの人々とりわけ今思春期真っただ中の若い人たちにこの作品を体験してほしい。きっと、人生観が変わる人がいるはずだから。

R-18 A Go-Go! ~女と男のいる鼓動~


(追伸)この映画をブログで紹介してくれたもちに、心からの謝辞を。