What's Entertainment ?

What's Entertainment ?

映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

『蘭島行』


 

監督:鎌田義孝/プロデューサー:山野久治/脚本:中野太、鎌田義孝/音楽:山田勳生/撮影:新宮英生、田宮健彦/録音・助監督:植田中/監督助手:康宇政/制作主任:川瀬準也/制作進行:常本亜実/編集:中村和樹/仕上げ:田巻源太/制作協力:スタンス・カンパニー、コンチネンタルサーカスピクチャーズ、マウンテンゲートプロダクション/宣伝:高木真寿美/宣伝美術:千葉健太郎/制作:風の色
製作・配給:鎌田フィルム
2024年/84分/1:1.85/モノラル

公開:2025年9月20日


こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。

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ミュージシャンを目指して上京したが芽が出ぬまま中年になり、いまだ独り身の冴えないパンクロッカー崩れ佐々木芳夫(木村知貴)。夜の新宿で道にしゃがみ込み缶ビールを煽りながら煙草を吸っていた彼は、スマートフォンの着信履歴を見た。母の美智子(竹江維子)から何度もかかって来ていたが、彼は一度も出なかった。
すると、ずっと連絡を取っていなかった弟の悟史(足立智充)から電話がかかってきた。しばし迷ってから電話に出た芳夫に、悟史は母が自殺を図ったと告げた。美智子は末期がんで医師から余命宣告されており、酒と薬を一緒に飲んで自殺を図ったが失敗して今は昏睡状態だという。「兄貴にも電話があったんじゃないか?」と弟に言われたが、芳夫は何も言わなかった。
やがて歩き出した芳夫は、泥酔して足取りもおぼつかない。そのうち、芳夫は橋の上から嘔吐してしまった。ふと彼が下を見ると、仰向けになった女が川に浮かんでいた。驚いた芳夫は河原に駆け下り、意識のない女・黒沢真紀(輝有子)を川岸に引き上げた。芳夫が声をかけながら真紀を揺さぶると、彼女は意識を取り戻した。

芳夫は、真紀を連れて実家のある小樽の蘭島に向かった。列車内では、芳夫も真紀も憮然としたまま一言も話さなかった。蘭島駅で下車した二人は、しばし駅舎の前に座って缶ビールを飲み、煙草を吸った。芳夫は、セックス・ピストルズ「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」の黒いプリント・Tシャツ。真紀は、首元がよれた白いTシャツに冴えないロングパンツ。二人ともとてもまともな大人の恰好とは言い難く、通りかかった地元の主婦が彼らに怪訝そうな視線を向けてきた。
芳夫はリサイクルショップに入ると、安物のペアリングと水玉模様が入った濃紺のワンピースを買った。真紀の指にはきつかったが、芳夫は力ずくで彼女の左薬指に指輪をはめ込んだ。

芳夫は、真紀を連れて美智子が入院している病院に行った。病室の母は眠ったままで目を覚まさなかった。諦めた芳夫は、病室を出てロビーに行った。そこで悟史と数年ぶりに再会した彼は、真紀を嫁だと紹介した。当然、何も聞かされていなかった悟史は目を見開いた。
その夜、三人は実家で飲みながら話した。とはいっても、真紀はもちろん芳夫もほとんど話さず、悟史が一人しゃべっているような状況だった。悟史はまっとうな社会人であり、共働きの妻と学生の娘がいた。蘭島には、仕事のついでに滞在していると彼は言った。悟史は兄に今の仕事や真紀との馴れ初めを尋ねるが、芳夫は不機嫌そうに多くを語らない。真紀に至っては、愛想の欠片もなく険しい表情でほとんど何も言わなかった。あと二、三日は蘭島に滞在すると言って、悟史は取ってあるホテルにレンタカーで帰って行った。

台所に立って洗い物をしていた真紀は、食器用洗剤で滑らせて指輪を外そうとするがきつくて外れなかった。そこに芳夫がやってきて、先に風呂を使うよう勧めた。仏間に行った芳夫は、父の遺影が飾られた仏壇に焼香した。大学ノートに書かれた美智子の日記が置いてあり、彼はそれを読んだ。息子の育て方を失敗したとか、病気の苦しみとか、自分の人生何だったのかとか書かれていた。日記の最後には、「死んだらお父さんと一緒に海に散骨してください」と書かれていた。
真紀が風呂から上がったので、入れ替わりに芳夫は入浴した。彼は風呂から出ると、自分の部屋で寝るよう真紀に言ってしわくちゃの一万円札を渡した。芳夫は、母親の前で嫁のふりをして欲しいと頼んで真紀を強引に連れて来たのだ。
芳夫は、リビングのソファーで寝た。真紀が芳夫の部屋に行くと、そこは彼が使っていた時のままだった、アコースティック・ギターが立てかけられており、壁には「夜間飛行」と題された詩が書かれた紙が張られていた。


翌日も三人は美智子を見舞ったが、相変わらず母親は昏睡状態だった。仕方なく、彼らは病院を後にした。美智子の日記に遺骨は海に散骨して欲しいと書いてあったことを告げた芳夫は、これから海を見に行こうと言い出した。
まずは、父の遺骨を預けたままになっている斎場に行って焼香した。職員に納骨のことを聞かれて、悟史はもう少し預かっていて欲しいと頼んだ。費用は、美智子の口座から毎月引き落とされているので、職員は了解した。父が死んだ時にも美智子は連絡を寄越さず、墓の話もまるでなかった。悟史は、芳夫にぼやいた。
三人は、芳夫と悟史が子供の頃毎年来ていた海水浴場にやって来た。兄はカナヅチだったと、悟史は笑って真紀に言った。撒くならこの海だろうが海に散骨するには船をチャーターしなければならず、かなりの高額になると悟史は言った。突然、真紀が泣き出したため芳夫も悟史も酷く驚いた。まだ死んでないと彼女は叫んだ。

その夜。実家で向かい合い、酒を飲み煙草を吸いながら芳夫と真紀はぎこちなく言葉を継ぐように少し話した。真紀はどうして死ぬ邪魔をしたのかと責めるように言った。どうして自殺しようとしたのか問われた彼女は、特に理由などなくすべてが嫌になったからだと投げやりに言った。
真紀は、芳夫の部屋に張ってあった「夜間飛行」の紙を示して、これは何かと聞いた。美智子が好きだった歌の歌詞で、母を連れてカラオケに行き練習させても彼女は一向に上達しなかったと芳夫は話した。彼の両親は職場結婚して、芳夫を身ごもり美智子は会社を辞めた。以来、彼女はずっと専業主婦だった。料理が上手く、とりわけ卵焼きは絶品だったと芳夫は言った。
今度は、芳夫が真紀のことを尋ねた。真紀の父親は彼女が幼い頃家を出て行き、それから彼女は母親と二人暮らしだった。その母親は、真紀が高校生の時に心不全で突然亡くなった。死に目には会えなかった。母が死んでからの彼女は、ずっと一人で生きてきた。

翌朝早く、悟史は実家に行った。彼が家に上がると、芳夫は一人ソファーで眠っていた。悟史は戸惑いながら、兄の部屋も覗いてみた。真紀が布団を被って寝ていた。そのまま、二人を起こさないように悟史は家を出た。
芳夫が目を覚ますと、真紀が台所で料理していた。彼女は、卵焼きを作っていた。弁当を作り終えると、芳夫と真紀は美智子の見舞いに行った。相変わらず、美智子は眠ったままだった。弁当を広げて食べているところに、悟史が顔を出した。悟史は、先ほど家に行ったことを二人には告げなかった。これから、芳夫と真紀の結婚祝いをしに行こうと悟史は誘った。

温泉旅館で風呂に浸かった後、悟史は目についた居酒屋に入り芳夫と真紀を祝福した。だが、相変わらず芳夫は憮然としたままで真紀も無口なままだった。悟史は、一人明るく二人を相手にしゃべった。芳夫が席を外した時、悟史は芳夫には真紀のような女性が合っているからこれから兄をよろしくと頭を下げた。
三人が居酒屋を出て夜道を歩いていると、小さな公園で三人の男たちがバスケットボールを楽しんでいた。何を思ったのか悟史はその公園に行くと、試合をやろうと彼らに言った。3対3をやったが、結果は悟史たちの惨敗だった。その後、悟史はシュート対決をやろうと芳夫に持ち掛けた。悟史はシュートを決め、芳夫は失敗した。悟史は、真紀にもやってみるよう勧めた。真紀も一発でシュートを決めた。彼女は、はしゃいだ。

その後、三人はスナックで飲んだ。悟史は、酒を飲みながら母を一人にしておくべきではなかったのではないかと言い出した。自分には妻と子供がいるから無理だと言う彼に、芳夫は激怒した。「仕事のついでに来てるんじゃねえ!」と叫ぶと、芳夫は悟史に殴りかかった。床に転がり、派手に喧嘩する二人。ボックス席で飲んでいた客が、「観光客か!」と二人に言った。芳夫と悟史は、声を揃えて「観光客じゃねえ!」と言い返した。

誰もいない夜の埠頭。悟史は、互いに仕事が多忙で妻とは離婚話が進んでいると兄に打ち明けた。そこに、缶ビールの入った買物袋を提げて真紀もやってきた。突然、真紀は踊り出した。面白がった悟史も、彼女と一緒にはしゃいだ。それを見ていた芳夫は、海の飛び込み「パンク万歳!」と叫んだ。そして、自分は泳げると言うと、沈みそうになりながら泳いで見せた。
家に帰ると、芳夫は「あと二、三日だけ付き合ってください。お袋が目覚ましたら、嫁さんだって紹介すっから。お願いします」と言って真紀に頭を下げた。真紀は、彼が出した一万円札を受け取った。

翌日、帰っていく悟史を蘭島駅まで見送りに行った芳夫と真紀。すると、芳夫の携帯が鳴った。電話を切った芳夫は、真紀の手をつかむと血相を変えて走り出した。二人が病室に飛び込むと、美智子はベッドで目を開けていた。芳夫は、真紀を自分の妻だと母親に紹介した。美智子は言葉を発しなかったが、嬉しそうに二人を見た。

当初の目的を達した真紀は、東京に帰ることにした。芳夫は、彼女を蘭島駅まで送った。突然、彼は何も言わすに駆け出した。芳夫は美智子の病室に入ると、眠っている母の前で「夜間飛行」を歌い始めた。歌い終えると、彼は「嘘ついてごめん!」と叫び、涙を流しながら深々と頭を下げた。
蘭島駅の駅舎前に座った真紀は、指輪を外すと穏やかな表情で「夜間飛行」を口ずさむのだった。

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『若妻 不倫の香り』(1998)で監督デビューした鎌田義孝は、同年もう一本ピンク映画『あぶない情事 獣のしたたり』を撮った後で一般映画に進出。『YUMENO』(2005)、『TOCKA[タスカー]』(2022)に続いて撮ったのが、本作である。
「遠く離れて暮らす親の死をどう受け止めたらいいのか?」という鎌田自身に起きた出来事がきっかけとなり、この作品は生まれた。極めてミニマムな世界観の作品ではあるが、そこにはある種の切実さと真摯な姿勢が貫かれていた。それは、この物語が鎌田にとって極めてリアルな題材だったからだろう。彼には、この映画を撮る必然性があったのだ。

そういった出自がありながらもこの作品には過剰なウェットさがなく、鎌田はあくまで登場人物と適度な距離感を持った演出に努めている。もう少し抑制して欲しいと感じるシーンもない訳ではないが、説明的な部分を極力排し極めて淡々と映画を紡いでいる。
本作におけるもう一つの美点と言えば、随所に挿入されるさりげないユーモアだろう。基本的にピリピリした緊張感やどんよりと沈んだシーンが多い中、息抜きのようなちょっとしたくすぐりが用意されている。その端的な例が、スナックでの「観光客じゃねえ!」である。

木村知貴が路上で缶ビールを飲みながら煙草を吸っているシーンは笑えないぐらいのはまりっぷりだが、芳夫が酔っぱらいながら千鳥足で歩くシーンから彼と真紀が蘭島駅に降り立ちリサイクルショップに入るまでは妙に役者の演技が硬く見えた。何というか、実に芝居的なのである。
それが払拭されるのは、芳夫と真紀がロビーで悟史と会うシーンである。気負いのないナチュラルな足立智充の演技が絶妙なテンポを生み出し、それ以降映画は独特のリズムで進んでいく。

芳夫がパンクロッカー崩れというのは、もう少し他の設定にできなかったのかと思わないでもないが、如何にも訳ありな真紀の生い立ちを最小限にしか説明しないのがいい。ここを分かりやすく提示してしまうと、かえってイージーな映画に堕しかねないからだ。
その一方、そつなく幸せな人生を送っているかに見える悟史も離婚問題を抱えているという設定が巧みだ。不器用で社会からドロップアウト寸前の芳夫と真紀に対して常識的な社会人を演じていた悟史が、自分の家庭問題を芳夫に打ち明けるシーンは出色である。
芳夫が橋の上からマーライオンのように嘔吐するシーンはいささか不自然だし、まだ死んでもいない母親の散骨場所を探し行くことに違和感もあるし、芳夫と真紀が自分たちのことを少し話すシーンで何故カメラをフィックスにしないのだろうと思ったりもしたが、概してこの映画は悪くない。

中盤以降、映画の肝になっているのが真紀の存在だ。不機嫌で無口、一体なのを考えているのか皆目分からない彼女の内面が少しずつ顔をのぞかせ、時に笑顔まで見せるようになる。タイトロープを渡るようなぎこちない三人の関係が、彼女の存在を通して少しずつ変化を見せて行くのである。
かと言って、三人が劇的に分かり合う訳でもなければ、関係性が深くなる訳でもない。変化とは言っても、それはあくまで仮初のものである。悟史には妻との離婚が待っており、昏睡状態の母に泣きながら詫びた芳夫もろくでなしのままだろう。一人駅前に残された真紀とて、それは同じだ。真紀は芳夫が買った指輪を外すが、それは一時のみ交差した芳夫との関係の終わりを暗示している。ここから、二人が新たな人生を始めるようなことはまずないだろう。
リアルな人生というのは、概してそんなものだ。そこには、理路整然とした理由や伏線の回収などほとんどない。それでも、あがきながら現実と何とか折り合いをつけるのしかないのが我々の日常なのだから。 
映画を観ていて、登場人物たちの心情や置かれている状況に自分を重ねて色々と考えてしまった。恐らく、40代以上の人なら誰でも何かしら響くものがあるのではないか。

木村知貴の中途半端なやさぐれぶり、目力の強い輝有子の硬質な存在感、そつなくまとめる足立智充の器用さと、メインキャストの三人はそれぞれに魅力的だった。ある種の不協和音を奏でながらも、最後は見事にコーダを迎えるロックな映画といった佇まいである。


本作は、シリアスさと寓話性が見事に調和したビターな人生模様の映画。
決して万人受けする作品ではないが、観た人それぞれの胸に何かを残す良作である。

『静かに燃えて』


 

プロデューサー・監督・脚本・編集:小林豊規/撮影:中井正義、高畑洋平、細澤恭悟/照明:磯貝幸男/録音:山谷明彦/美術:野中茂樹/絵画:蔵野春生/絵画制作:小林芳雄/衣裳:山本祐行、生井ゆみ/ヘアメイク:藤枝純子/グレーディング・EED:白石悟/音楽:金剛地武志/ミキサー:岩波昌志/音響効果:斎藤みどり/シンセサイザーPG:宮澤謙/監督補:住岡由統/助監督:山崎賢児、福島隆弘/制作進行:長田浩一/撮影助手:小畑智寛/美術助手:伊藤佳純/衣裳助手:川野さわこ、直田晴菜/ヘアメイク助手:春本みゆき、宮井麻三子、本橋英子/制作進行助手:大倉望/制作応援:宮下直樹、坂本俊夫/脚本協力:小林富美/制作協力:岩橋修平
制作・配給:株式会社オフィス101
公開:2023年10月14日


美大を卒業した田村容子(とみやまあゆみ)は、カルチャースクールで油絵の講師として働いている。彼女は、教室の年配の女生徒がオーナーのテラスハウスに持ち主と一緒に住んでいた。ところが、大家が亡くなってしまう。
後日、容子は大家の孫でOLの須藤由佳里(笛木陽子)と喫茶店で面会した。できればこれからもあの家で暮らしたいと容子は話すが、それを聞いた由佳里は自分が祖母のテラスハウスで暮らすつもりだと言った。容子が困った表情を浮かべると、自分と一緒に暮らさないかと由佳里は提案してきた。そして、二人の新しい生活が始まった。

容子は同性愛者であることを隠し、よきルームメイトとして由佳里と接しているものの内心では彼女に惹かれていた。一方の由佳里は、一見天真爛漫のようで就寝前には睡眠導入剤を服用していた。部屋が殺風景だからと、由佳里は壁一面に容子が描いた油絵を飾った。
ある時、洗濯していた由佳里は洗濯物の中に男物のトランクスを見つけて容子に尋ねた。二階に干しているのに、以前下着を盗まれたことがありダミーに男物も一緒に干しているのだと容子は言って箪笥の中に入れてある新品のトランクスを見せた。

同じテラスハウスに、大学生の姉弟・村上柊子(原田里佳子)と悠輝(蒔苗勇亮)が引っ越してきた。以前に住んでいた部屋は、酔った悠輝がバカ騒ぎして追い出されてしまったのだ。今度の部屋は彼らの両親が長年物置代わりに使っていたため、荷物が散乱しており片付けには随分と時間がかかりそうだった。
そんなある日、柊子は弟がぼ~っとした顔で隣室の二階を見上げているのを目撃する。悠輝は、干してあった洗濯物を見ていた。一歩間違えたらストーカーさながらの表情に、柊子は激怒。不貞腐れた悠輝は、家の片づけを放棄して自室にこもってしまった。柊子はこの一件を携帯で母親に報告するが、母親は隣室に引っ越しの挨拶に行くよう言った。

ある時、容子を美大時代の同級生だった佐野幸彦(榛原亮)が訪ねて来た。彼は、近くで友人と工房をやっていると言った。一目見て彼に惹かれた由佳里は、後日佐野の工房を訪ね彼に請われて手のモデルをやった。すっかり佐野のことを好きになってしまった由佳里は、再び彼の元を訪ねたが告白することもなく彼女の恋は破れた。
その後も容子と由佳里は一緒に暮らしていたが、徐々に容子は自分の気持ちを抑えることが辛くなってくる。だが、本当のことを口には出せない。妙にぎくしゃくし始めた二人の関係は、ある出来事をきっかけに大きな分岐点を迎えることになる。

柊子は、渋る悠輝を引っ張ってテラスハウスの隣人の元へ引っ越すの挨拶に行くが…。


小林豊規が初監督した長編映画は2018年に撮影されたが、公開の目途が立たぬまま月日が流れた。そして、この度一週間の限定ながら下北沢トリウッドで5年越しの公開にこぎつけた。

僕はずっととみあやまあゆみ出演の舞台や映画を追いかけているので本作も観たが、正直に言うとあまり期待してはいなかった。中盤まではどうにも乗れず、「う~む…」という感じでスクリーンと対峙していたのだが、後半に思いがけないツイストがあって思わず唸ってしまった。
「なるほど、こう来るか!」という驚きがあり、結果的に作品は予想外の拾いものであった。

前半に拒否反応が出た最大の理由は、とかくバストアップのショットと切り返しが多用され、映像に奥行きがないこと。それから、役者の演技のせいなのかそれとも演出のせいなのか、はたまた編集のせいなのか会話のシーンでテンポがしっくりこないこと。この二つが、何ともストレスフルだったのだ。
それから、ストーリーテリングにいささか首を傾げる部分もあった。個人的に思ったのは、容子が教え子の家で共同生活を送るようになった経緯をちゃんと描いておく必要があったのではないかということだ。そこを飛ばして唐突に由佳里との面会場面になってしまうので、何やら出し抜け感が否めなかった。
また、いささかご都合主義が散見されたのも気になる。LGBT的な人物造形を揃えすぎなところも気になるし、その一方で催眠術教室の場面にはセンシティヴさを欠いていたように思う。
それでも、終盤のツイストや容子と由佳里の別離のエモーショナルさは秀逸だった。

人物造形では、いささか由佳里が定型的というか映画装置的な薄さが気になった。容子同様、彼女についてももう少し繊細に描いた方が映画に奥行きが生まれたように思う。
役者については、やはりとみやまあゆみが説得力のある演技を見せてくれたが、原田里佳子の快活さも魅力的に映った。


本作は、なかなかにトリッキーな人間ドラマの佳作。
ちゃんと公開されないのは、ちょっともったいない作品だと思う。

『クレマチスの窓辺』


 

監督・編集:永岡俊幸/脚本:永岡俊幸、木島悠翔/プロデューサー:辻卓馬/主題歌:山根万理奈「まどろみ」/撮影:田中銀蔵/照明:岡田翔/効果・整音:中島浩一/メイク:ほんだなお/衣裳:小宮山芽以/監督助手:長谷川汐海/制作進行:秋山友希/撮影助手:滝梓/車輌:西村信彦/タイトル・ヴィジュアルデザイン:東かほり/カラリスト・DCPマスタリング:清原真治/劇中音楽:ようへい、伴正人、sing on the pole/協力:島根観光連盟、松江フィルムコミッション協議会/後援:ダブルクラウン、TROMPETTE
製作:Rute9、focalnaut co.,ltd/配給・宣伝:アルミード
公開:2022年4月8日
2022/日本/62分/カラー/ヨーロピアンビスタ/デジタル


東京生まれ東京育ちの絵里(瀬戸かほ)は、25歳の会社員。数字に追われるストレスフルな毎日に疲れた彼女は、一週間の休暇を取って地方の街で息抜きすることに決めた。亡くなった祖母が一人で住んでいた古民家はすでに売ることが決まっているが、絵里は叔母(西條裕美)に頼んでその家で過ごすことにした。
その叔母、建築の仕事に就いている叔母の息子(馬場俊策)と大学生の娘(里内伽奈)、息子の婚約者(小山梨奈)、三代続く靴屋の倅(ミネオショウ)、祖母と付き合いのあった近所の花屋(小川節子)と出戻りの娘(しじみ)、考古学の大学准教授(星能豊)、東京から自転車で旅するバックパッカー(サトウヒロキ)と交流し、祖母が残した日記を読むうちに絵里の心は少しずつほぐれていく…。


 

島根県でオールロケを敢行した映画で、永岡俊幸の劇場デビュー作。永岡と木島悠翔、しじみ、主題歌を歌っている山根万理奈は島根県出身である。

ピンク映画マニアの僕にとって、永岡俊幸はある意味懐かしさを覚える名前だった。というのも、彼は竹洞哲也の助監督についていたことがあり、その時の作品をすべて観ているからだ。具体的に挙げると、『いんらん千一夜 恍惚のよがり』(2011)、『義父の求愛 やわ肌を這う舌』(2012)、『人妻家政婦 うずきに溺れて』(2012)、『お色気女将 みだら開き』(2012)、『挑発ウエイトレス おもてなしCafe』(2014)である。
『いんらん千一夜 恍惚のよがり』にはしじみも出演しており、彼女の代表作の一本と言っていい素晴らしい演技を披露している。

劇的なことは何も起こらない脱現実的な「半日常映画」といった趣きの小品である。
本作を観ていてまず思ったのは、ロケハンの素晴らしさだ。出てくる全ての風景が実に美しく、その映像を見ているだけで絵里と一緒にささやかなヴァカンスを楽しんでいる気持ちになれる。

ただ、前半の展開がどうにも疲れてしまう。一週間という極めて限定的な時間、おまけに映画の尺が62分しかないため、あらゆることが矢継ぎ早に起こるのである。おまけに、絵里が地方都市にやってきた理由や登場人物たちのバックグラウンドを科白の中で説明しようとするから、会話がすべて前のめりなのである。
相手の話を聞いてそれに受け応えるのではなく、一人の役者が科白を言ったから次は自分が科白を言う番だ…みたいな性急さなのだ。おまけに、ワン・シチュエーションの中でドミノ倒し的に出会いがある。それがかなり窮屈に感じる。観ている方も、息をつく暇がない

やはり、尺を長くするか登場人物をもっと絞るかどちらか選択すべきだったように思う。絵里が読んでいる祖母の日記の扱いも祖母と花屋のオーナーの関係も匂わせるだけで投げっ放しだし、後半の靴屋と絵里がバーでさし飲みするシーンも必要なのかと思ってしまった。いたずらな寄り道が多すぎてかえって、どのエピソードも着地場所を失っているようにさえ見えるのだ。
バックパッカーが登場してからは、映画のテンポが穏やかになり美しい街並みと調和するので観ていてとても気持ちがいい。まあ、初対面の異性を無防備に自分の家に連れて行く25歳の独身女性がいるかな…と首を傾げもするが。
監督としては、意識的に前半を都会の忙しなさの延長的なテンポにして、後半はそこから解放されて地方都市の時間に映画のテンポを合わせたようだが、それにしてももう少し前半はやりようがあったのではないかと思う。

それでも、この映画は悪くないと思う。何と言っても、大仰さがなくアンチ・ドラマティックなのがいい。ひと時の人生の凪を描いた映画があってもいいではないか。そうでなくても世の中は情報に溢れており、我々は常に数字や選択に追われて日々を疲弊しながら生きているのだから。ここではない何処かに思いを馳せてリセットを望んでいるのは、絵里も僕らも同じだ。
ささやかな奇跡のようなものを求めるのが、映画を観るという行為に他ならないのである。

映画終盤、絵里は「こんなに一週間が長く感じたのは初めてかも」と言う。僕は「短く」ではないかと思って違和感があったのだが、永岡監督は「長い」にするか「短い」にするか悩んだ末に自分がシナハンで過ごした五日間の濃度を長く感じたので「長い」をチョイスしたそうである。であれば、「濃く」が一番しっくりくる言葉のように思う。

本作で一番驚いたのは、小川節子のキャスティングである。約45年ぶりの復帰作らしいが、小川節子と言えば初期の日活ロマン・ポルノを支えた人気女優の一人。ロマン・ポルノの第一弾として1971年に日活が製作したのが、かの有名な白川和子主演の西村昭五郎監督『団地妻 昼下りの情事』と小川節子主演の林功監督『色暦 大奥秘話』だ。
まさか、小川節子としじみが親子役を演じる日が来るとは夢にも思わなかった。


永岡俊幸には、是非とももっと尺の長い監督第二作目を撮ってほしいものである。