What's Entertainment ?

What's Entertainment ?

映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

『静かに燃えて』


 

プロデューサー・監督・脚本・編集:小林豊規/撮影:中井正義、高畑洋平、細澤恭悟/照明:磯貝幸男/録音:山谷明彦/美術:野中茂樹/絵画:蔵野春生/絵画制作:小林芳雄/衣裳:山本祐行、生井ゆみ/ヘアメイク:藤枝純子/グレーディング・EED:白石悟/音楽:金剛地武志/ミキサー:岩波昌志/音響効果:斎藤みどり/シンセサイザーPG:宮澤謙/監督補:住岡由統/助監督:山崎賢児、福島隆弘/制作進行:長田浩一/撮影助手:小畑智寛/美術助手:伊藤佳純/衣裳助手:川野さわこ、直田晴菜/ヘアメイク助手:春本みゆき、宮井麻三子、本橋英子/制作進行助手:大倉望/制作応援:宮下直樹、坂本俊夫/脚本協力:小林富美/制作協力:岩橋修平
制作・配給:株式会社オフィス101
公開:2023年10月14日


美大を卒業した田村容子(とみやまあゆみ)は、カルチャースクールで油絵の講師として働いている。彼女は、教室の年配の女生徒がオーナーのテラスハウスに持ち主と一緒に住んでいた。ところが、大家が亡くなってしまう。
後日、容子は大家の孫でOLの須藤由佳里(笛木陽子)と喫茶店で面会した。できればこれからもあの家で暮らしたいと容子は話すが、それを聞いた由佳里は自分が祖母のテラスハウスで暮らすつもりだと言った。容子が困った表情を浮かべると、自分と一緒に暮らさないかと由佳里は提案してきた。そして、二人の新しい生活が始まった。

容子は同性愛者であることを隠し、よきルームメイトとして由佳里と接しているものの内心では彼女に惹かれていた。一方の由佳里は、一見天真爛漫のようで就寝前には睡眠導入剤を服用していた。部屋が殺風景だからと、由佳里は壁一面に容子が描いた油絵を飾った。
ある時、洗濯していた由佳里は洗濯物の中に男物のトランクスを見つけて容子に尋ねた。二階に干しているのに、以前下着を盗まれたことがありダミーに男物も一緒に干しているのだと容子は言って箪笥の中に入れてある新品のトランクスを見せた。

同じテラスハウスに、大学生の姉弟・村上柊子(原田里佳子)と悠輝(蒔苗勇亮)が引っ越してきた。以前に住んでいた部屋は、酔った悠輝がバカ騒ぎして追い出されてしまったのだ。今度の部屋は彼らの両親が長年物置代わりに使っていたため、荷物が散乱しており片付けには随分と時間がかかりそうだった。
そんなある日、柊子は弟がぼ~っとした顔で隣室の二階を見上げているのを目撃する。悠輝は、干してあった洗濯物を見ていた。一歩間違えたらストーカーさながらの表情に、柊子は激怒。不貞腐れた悠輝は、家の片づけを放棄して自室にこもってしまった。柊子はこの一件を携帯で母親に報告するが、母親は隣室に引っ越しの挨拶に行くよう言った。

ある時、容子を美大時代の同級生だった佐野幸彦(榛原亮)が訪ねて来た。彼は、近くで友人と工房をやっていると言った。一目見て彼に惹かれた由佳里は、後日佐野の工房を訪ね彼に請われて手のモデルをやった。すっかり佐野のことを好きになってしまった由佳里は、再び彼の元を訪ねたが告白することもなく彼女の恋は破れた。
その後も容子と由佳里は一緒に暮らしていたが、徐々に容子は自分の気持ちを抑えることが辛くなってくる。だが、本当のことを口には出せない。妙にぎくしゃくし始めた二人の関係は、ある出来事をきっかけに大きな分岐点を迎えることになる。

柊子は、渋る悠輝を引っ張ってテラスハウスの隣人の元へ引っ越すの挨拶に行くが…。


小林豊規が初監督した長編映画は2018年に撮影されたが、公開の目途が立たぬまま月日が流れた。そして、この度一週間の限定ながら下北沢トリウッドで5年越しの公開にこぎつけた。

僕はずっととみあやまあゆみ出演の舞台や映画を追いかけているので本作も観たが、正直に言うとあまり期待してはいなかった。中盤まではどうにも乗れず、「う~む…」という感じでスクリーンと対峙していたのだが、後半に思いがけないツイストがあって思わず唸ってしまった。
「なるほど、こう来るか!」という驚きがあり、結果的に作品は予想外の拾いものであった。

前半に拒否反応が出た最大の理由は、とかくバストアップのショットと切り返しが多用され、映像に奥行きがないこと。それから、役者の演技のせいなのかそれとも演出のせいなのか、はたまた編集のせいなのか会話のシーンでテンポがしっくりこないこと。この二つが、何ともストレスフルだったのだ。
それから、ストーリーテリングにいささか首を傾げる部分もあった。個人的に思ったのは、容子が教え子の家で共同生活を送るようになった経緯をちゃんと描いておく必要があったのではないかということだ。そこを飛ばして唐突に由佳里との面会場面になってしまうので、何やら出し抜け感が否めなかった。
また、いささかご都合主義が散見されたのも気になる。LGBT的な人物造形を揃えすぎなところも気になるし、その一方で催眠術教室の場面にはセンシティヴさを欠いていたように思う。
それでも、終盤のツイストや容子と由佳里の別離のエモーショナルさは秀逸だった。

人物造形では、いささか由佳里が定型的というか映画装置的な薄さが気になった。容子同様、彼女についてももう少し繊細に描いた方が映画に奥行きが生まれたように思う。
役者については、やはりとみやまあゆみが説得力のある演技を見せてくれたが、原田里佳子の快活さも魅力的に映った。


本作は、なかなかにトリッキーな人間ドラマの佳作。
ちゃんと公開されないのは、ちょっともったいない作品だと思う。

『クレマチスの窓辺』


 

監督・編集:永岡俊幸/脚本:永岡俊幸、木島悠翔/プロデューサー:辻卓馬/主題歌:山根万理奈「まどろみ」/撮影:田中銀蔵/照明:岡田翔/効果・整音:中島浩一/メイク:ほんだなお/衣裳:小宮山芽以/監督助手:長谷川汐海/制作進行:秋山友希/撮影助手:滝梓/車輌:西村信彦/タイトル・ヴィジュアルデザイン:東かほり/カラリスト・DCPマスタリング:清原真治/劇中音楽:ようへい、伴正人、sing on the pole/協力:島根観光連盟、松江フィルムコミッション協議会/後援:ダブルクラウン、TROMPETTE
製作:Rute9、focalnaut co.,ltd/配給・宣伝:アルミード
公開:2022年4月8日
2022/日本/62分/カラー/ヨーロピアンビスタ/デジタル


東京生まれ東京育ちの絵里(瀬戸かほ)は、25歳の会社員。数字に追われるストレスフルな毎日に疲れた彼女は、一週間の休暇を取って地方の街で息抜きすることに決めた。亡くなった祖母が一人で住んでいた古民家はすでに売ることが決まっているが、絵里は叔母(西條裕美)に頼んでその家で過ごすことにした。
その叔母、建築の仕事に就いている叔母の息子(馬場俊策)と大学生の娘(里内伽奈)、息子の婚約者(小山梨奈)、三代続く靴屋の倅(ミネオショウ)、祖母と付き合いのあった近所の花屋(小川節子)と出戻りの娘(しじみ)、考古学の大学准教授(星能豊)、東京から自転車で旅するバックパッカー(サトウヒロキ)と交流し、祖母が残した日記を読むうちに絵里の心は少しずつほぐれていく…。


 

島根県でオールロケを敢行した映画で、永岡俊幸の劇場デビュー作。永岡と木島悠翔、しじみ、主題歌を歌っている山根万理奈は島根県出身である。

ピンク映画マニアの僕にとって、永岡俊幸はある意味懐かしさを覚える名前だった。というのも、彼は竹洞哲也の助監督についていたことがあり、その時の作品をすべて観ているからだ。具体的に挙げると、『いんらん千一夜 恍惚のよがり』(2011)、『義父の求愛 やわ肌を這う舌』(2012)、『人妻家政婦 うずきに溺れて』(2012)、『お色気女将 みだら開き』(2012)、『挑発ウエイトレス おもてなしCafe』(2014)である。
『いんらん千一夜 恍惚のよがり』にはしじみも出演しており、彼女の代表作の一本と言っていい素晴らしい演技を披露している。

劇的なことは何も起こらない脱現実的な「半日常映画」といった趣きの小品である。
本作を観ていてまず思ったのは、ロケハンの素晴らしさだ。出てくる全ての風景が実に美しく、その映像を見ているだけで絵里と一緒にささやかなヴァカンスを楽しんでいる気持ちになれる。

ただ、前半の展開がどうにも疲れてしまう。一週間という極めて限定的な時間、おまけに映画の尺が62分しかないため、あらゆることが矢継ぎ早に起こるのである。おまけに、絵里が地方都市にやってきた理由や登場人物たちのバックグラウンドを科白の中で説明しようとするから、会話がすべて前のめりなのである。
相手の話を聞いてそれに受け応えるのではなく、一人の役者が科白を言ったから次は自分が科白を言う番だ…みたいな性急さなのだ。おまけに、ワン・シチュエーションの中でドミノ倒し的に出会いがある。それがかなり窮屈に感じる。観ている方も、息をつく暇がない

やはり、尺を長くするか登場人物をもっと絞るかどちらか選択すべきだったように思う。絵里が読んでいる祖母の日記の扱いも祖母と花屋のオーナーの関係も匂わせるだけで投げっ放しだし、後半の靴屋と絵里がバーでさし飲みするシーンも必要なのかと思ってしまった。いたずらな寄り道が多すぎてかえって、どのエピソードも着地場所を失っているようにさえ見えるのだ。
バックパッカーが登場してからは、映画のテンポが穏やかになり美しい街並みと調和するので観ていてとても気持ちがいい。まあ、初対面の異性を無防備に自分の家に連れて行く25歳の独身女性がいるかな…と首を傾げもするが。
監督としては、意識的に前半を都会の忙しなさの延長的なテンポにして、後半はそこから解放されて地方都市の時間に映画のテンポを合わせたようだが、それにしてももう少し前半はやりようがあったのではないかと思う。

それでも、この映画は悪くないと思う。何と言っても、大仰さがなくアンチ・ドラマティックなのがいい。ひと時の人生の凪を描いた映画があってもいいではないか。そうでなくても世の中は情報に溢れており、我々は常に数字や選択に追われて日々を疲弊しながら生きているのだから。ここではない何処かに思いを馳せてリセットを望んでいるのは、絵里も僕らも同じだ。
ささやかな奇跡のようなものを求めるのが、映画を観るという行為に他ならないのである。

映画終盤、絵里は「こんなに一週間が長く感じたのは初めてかも」と言う。僕は「短く」ではないかと思って違和感があったのだが、永岡監督は「長い」にするか「短い」にするか悩んだ末に自分がシナハンで過ごした五日間の濃度を長く感じたので「長い」をチョイスしたそうである。であれば、「濃く」が一番しっくりくる言葉のように思う。

本作で一番驚いたのは、小川節子のキャスティングである。約45年ぶりの復帰作らしいが、小川節子と言えば初期の日活ロマン・ポルノを支えた人気女優の一人。ロマン・ポルノの第一弾として1971年に日活が製作したのが、かの有名な白川和子主演の西村昭五郎監督『団地妻 昼下りの情事』と小川節子主演の林功監督『色暦 大奥秘話』だ。
まさか、小川節子としじみが親子役を演じる日が来るとは夢にも思わなかった。


永岡俊幸には、是非とももっと尺の長い監督第二作目を撮ってほしいものである。

『BELUSHI ベルーシ』


 

監督・脚本・製作:R・J・カトラー/製作総指揮:ビル・コーチュリー、ショーン・ダニエル、ヴィニー・モルホトラ、アンドリュー・ラーマン/アニメーション:ロバート・バレー/音楽:ツリー・アダムス/音楽監修:リズ・ギャラチャー/グラフィック:ステファン・ナーデルマン/ストーリープロデューサー:オースティン・ウィルキン/共同製作:ライアン・ギャラガー、カロリン・ジュリアンス/編集:ジョー・ベシェンコフスキー、マリス・ベンジンス/製作:ジョン・バトセック、ダイアン・ベッカー、トレヴァー・スミス/配給:アンプラグド
公開:2021年12月17日


人気絶頂だった33歳の時にスピードボールのオーヴァードーズで急逝したアメリカの天才コメディアン、ジョン・ベルーシの人生を追った2020年製作の尺108分に及ぶドキュメンタリーである。
本作は、妻のジュディス・ベルーシが保管していた未公開音声テープ、ジョンから贈られた手紙、関係者の証言、アーカイヴ映像、アニメーションで構成されている。

ジョン・ベルーシがアルバニア系移民二世だったことに始まり、幼少期から次第に人気ものになって行く思春期、ジュディスとの出会い、コメディ劇団での人気、ニューヨークへ赴きラジオ番組で活躍した後に「サタデー・ナイト・ライブ」への出演、ジョン・ランディス監督『アニマル・ハウス』(1978)での全米ブレイク、盟友ダン・エイクロイドと結成したブルース・ブラザースの大成功とジョン・ランディス監督による映画化『ブルース・ブラザース』(1980)の大ヒット、プレッシャーと麻薬摂取による破滅までが描かれている。
資料や証言をふんだんに集めて製作された至って真摯なドキュメンタリーで、ジョン・ベルーシの才能やパーソナリティ共々胸に迫る映画だと思う。


 

ただ、膨大な情報をそのまま羅列してしまったような編集が頂けない。情報過多で、それを字幕で見ていると正直ぐったり疲れてしまう。おまけに、その資料からジョン・ベルーシの人間性や不慮の死に至った原因を読み解き彼の人生を浮き彫りにするような方向に作られておらず、ひたすら資料や証言を繋げているだけという印象を受けてしまう。
だから、ジョン・ベルーシに関するスクラップ・ブックを見せられている感じで、その人となりが立体的に立ち上がらない。それが、本作における一番の不満である。

それから、せっかくジョン・ベルーシという稀代のエンターテイナーを扱っているのだから、もっと彼のパフォーマンス映像を見せて欲しかったように思う。
ジョー・コッカーやマーロン・ブランドの物まね、エリザベス・テイラーの悪意あるパロディ、黒澤明監督『用心棒』にインスパイアされたサムライ・コメディ、ブルース・ブラザースの演奏シーン等々。「サタデー・ナイト・ライブ」の映像も、断片的でフラストレーションを感じてしまった。


 

個人的には、如何にもアメリカンで大味な「サタデー・ナイト・ライブ」の力で捻じ伏せるような笑いが苦手で、いささかトゥー・クレバーともいえる60年代イギリスの「モンティ・パイソン」の方が好みではあった。
モンティ・パイソンのメンバーで、ニール・イネスと一緒にビートルズのパロディであるラトルズをやっていたエリック・アイドルも登場する。映画の中では、何も触れられていないが。
ダン・エイクロイドが脚本を準備していた『ゴーストバスターズ』(1984)に、ジョン・ベルーシが出ていたらなとつくづく思う。彼の代わりに主演して全米の人気者になったのが、「SNL」でも共演したビル・マーレイである。

それにしても、妻のジュディスとダン・エイクロイドが如何にジョン・ベルーシにとって重要な人物だったのかを改めて認識した。そのダン・エイクロイドが語る話の一つ一つが胸に響く。意外にも、『ブルース・ブラザース』で共演したキャリー・フィッシャーのコメントが大々的にフィーチャーされていた。
ただ、どうしてもラストが感傷的になり過ぎているのが気になった。コメディアンらしくジョー・コッカー「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の物まねで終わらせていいじゃないかと思うのだが、そうはいかないのだ。

いずれにしても、1980年代に入るとドラッグで命を落とすアメリカ・ショービズ界のタレントはさほどいなくなっていたように思う。
それを思うと、ジョン・ベルーシが抱えていた心の闇や麻薬依存症への対処法がもう少し成熟していればと思わずにはいられないのである。