永岡俊幸『クレマチスの窓辺』 | What's Entertainment ?

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『クレマチスの窓辺』


 

監督・編集:永岡俊幸/脚本:永岡俊幸、木島悠翔/プロデューサー:辻卓馬/主題歌:山根万理奈「まどろみ」/撮影:田中銀蔵/照明:岡田翔/効果・整音:中島浩一/メイク:ほんだなお/衣裳:小宮山芽以/監督助手:長谷川汐海/制作進行:秋山友希/撮影助手:滝梓/車輌:西村信彦/タイトル・ヴィジュアルデザイン:東かほり/カラリスト・DCPマスタリング:清原真治/劇中音楽:ようへい、伴正人、sing on the pole/協力:島根観光連盟、松江フィルムコミッション協議会/後援:ダブルクラウン、TROMPETTE
製作:Rute9、focalnaut co.,ltd/配給・宣伝:アルミード
公開:2022年4月8日
2022/日本/62分/カラー/ヨーロピアンビスタ/デジタル


東京生まれ東京育ちの絵里(瀬戸かほ)は、25歳の会社員。数字に追われるストレスフルな毎日に疲れた彼女は、一週間の休暇を取って地方の街で息抜きすることに決めた。亡くなった祖母が一人で住んでいた古民家はすでに売ることが決まっているが、絵里は叔母(西條裕美)に頼んでその家で過ごすことにした。
その叔母、建築の仕事に就いている叔母の息子(馬場俊策)と大学生の娘(里内伽奈)、息子の婚約者(小山梨奈)、三代続く靴屋の倅(ミネオショウ)、祖母と付き合いのあった近所の花屋(小川節子)と出戻りの娘(しじみ)、考古学の大学准教授(星能豊)、東京から自転車で旅するバックパッカー(サトウヒロキ)と交流し、祖母が残した日記を読むうちに絵里の心は少しずつほぐれていく…。


 

島根県でオールロケを敢行した映画で、永岡俊幸の劇場デビュー作。永岡と木島悠翔、しじみ、主題歌を歌っている山根万理奈は島根県出身である。

ピンク映画マニアの僕にとって、永岡俊幸はある意味懐かしさを覚える名前だった。というのも、彼は竹洞哲也の助監督についていたことがあり、その時の作品をすべて観ているからだ。具体的に挙げると、『いんらん千一夜 恍惚のよがり』(2011)、『義父の求愛 やわ肌を這う舌』(2012)、『人妻家政婦 うずきに溺れて』(2012)、『お色気女将 みだら開き』(2012)、『挑発ウエイトレス おもてなしCafe』(2014)である。
『いんらん千一夜 恍惚のよがり』にはしじみも出演しており、彼女の代表作の一本と言っていい素晴らしい演技を披露している。

劇的なことは何も起こらない脱現実的な「半日常映画」といった趣きの小品である。
本作を観ていてまず思ったのは、ロケハンの素晴らしさだ。出てくる全ての風景が実に美しく、その映像を見ているだけで絵里と一緒にささやかなヴァカンスを楽しんでいる気持ちになれる。

ただ、前半の展開がどうにも疲れてしまう。一週間という極めて限定的な時間、おまけに映画の尺が62分しかないため、あらゆることが矢継ぎ早に起こるのである。おまけに、絵里が地方都市にやってきた理由や登場人物たちのバックグラウンドを科白の中で説明しようとするから、会話がすべて前のめりなのである。
相手の話を聞いてそれに受け応えるのではなく、一人の役者が科白を言ったから次は自分が科白を言う番だ…みたいな性急さなのだ。おまけに、ワン・シチュエーションの中でドミノ倒し的に出会いがある。それがかなり窮屈に感じる。観ている方も、息をつく暇がない

やはり、尺を長くするか登場人物をもっと絞るかどちらか選択すべきだったように思う。絵里が読んでいる祖母の日記の扱いも祖母と花屋のオーナーの関係も匂わせるだけで投げっ放しだし、後半の靴屋と絵里がバーでさし飲みするシーンも必要なのかと思ってしまった。いたずらな寄り道が多すぎてかえって、どのエピソードも着地場所を失っているようにさえ見えるのだ。
バックパッカーが登場してからは、映画のテンポが穏やかになり美しい街並みと調和するので観ていてとても気持ちがいい。まあ、初対面の異性を無防備に自分の家に連れて行く25歳の独身女性がいるかな…と首を傾げもするが。
監督としては、意識的に前半を都会の忙しなさの延長的なテンポにして、後半はそこから解放されて地方都市の時間に映画のテンポを合わせたようだが、それにしてももう少し前半はやりようがあったのではないかと思う。

それでも、この映画は悪くないと思う。何と言っても、大仰さがなくアンチ・ドラマティックなのがいい。ひと時の人生の凪を描いた映画があってもいいではないか。そうでなくても世の中は情報に溢れており、我々は常に数字や選択に追われて日々を疲弊しながら生きているのだから。ここではない何処かに思いを馳せてリセットを望んでいるのは、絵里も僕らも同じだ。
ささやかな奇跡のようなものを求めるのが、映画を観るという行為に他ならないのである。

映画終盤、絵里は「こんなに一週間が長く感じたのは初めてかも」と言う。僕は「短く」ではないかと思って違和感があったのだが、永岡監督は「長い」にするか「短い」にするか悩んだ末に自分がシナハンで過ごした五日間の濃度を長く感じたので「長い」をチョイスしたそうである。であれば、「濃く」が一番しっくりくる言葉のように思う。

本作で一番驚いたのは、小川節子のキャスティングである。約45年ぶりの復帰作らしいが、小川節子と言えば初期の日活ロマン・ポルノを支えた人気女優の一人。ロマン・ポルノの第一弾として1971年に日活が製作したのが、かの有名な白川和子主演の西村昭五郎監督『団地妻 昼下りの情事』と小川節子主演の林功監督『色暦 大奥秘話』だ。
まさか、小川節子としじみが親子役を演じる日が来るとは夢にも思わなかった。


永岡俊幸には、是非とももっと尺の長い監督第二作目を撮ってほしいものである。